2016年9月30日金曜日

『君の名は。』」が1分たりとも退屈させない秘密(2):ニュースが止まらない

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BBC News  2016年9月30日
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37503259

アニメ映画『君の名は。』が記録的ヒットに 
人気の背景を探る


『君の名は。』は85カ国・地域で公開される予定

 日本のアニメ映画『君の名は。』が公開1カ月で興行収入100億円を超え、人気作を数多く出してきたスタジオジブリの作品以外としては記録的なヒットになっている。
 なぜ成功を収めたのか。
 人気の背景を探った。

■1):体が入れ替わるという幻想的な設定

 この映画は、10代の男女の体が入れ替わるという話を中心に展開する。
 小説を原作とし、日本の田舎町に住む女子高校生、三葉(みつは)と東京の男子高校生、瀧(たき)の出会いを描く。
 三葉は自分が若い男の体になってしまったのを夢の中のことだと思い、一方の瀧は田舎の女子生徒として周囲の世界を見る。
 映画は体の入れ替わりと、タイムトラベルや破壊と死をもたらす彗星をめぐる2人の経験を描写している。

■2)日本の昔話の男女取り換えがインスピレーションに

 映画を監督した新海誠氏は、12世紀(平安時代)の昔話「とりかへばや物語」からインスピレーションを得たとされる。
 とりかへばや物語では、対照的な性格の双子の男女が、男の子が女の子として、女の子が男の子としてそれぞれ育てられる。

 現代日本の映画やテレビドラマでも、同様のテーマを扱った作品が存在する。
 1982年公開の『転校生』は、神社の階段を転げ落ちた10代の男女の体が入れ替わるし、2007年のテレビドラマ「パパとムスメの7日間」では、父と娘の体が入れ替わる。

■3)夢見がちな思春期のメランコリー

 映画は、大人への成長や思春期、複雑な世界の中で自らのアイデンティティーを確立する苦悩、といった普遍的なテーマを扱っている。


夢と現実の境界線も新海監督の想像力を刺激した

 三葉と瀧は、お互いの体が入れ替わった状態で夢から目覚め、現実と夢の境界線が度々あやふやになる。
 監督の新海氏は、この部分は古今和歌集の有名な小野小町の和歌から影響を受けていると語っている。

 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

 「彼のことを考えながら眠りに落ちたから彼の夢を見たのだろうか。
 夢と知っていれば目覚めなかったのに」
という意味だ。
 新海監督は、夢から目覚めたばかりのぼんやりした物悲しい瞬間の感覚を映画の中で表現しようとしているようだ。

■4)日本を変えた東日本大震災の記憶

 映画には、2011年3月11日に日本を襲った過去最大の地震、東日本大震災の経験も反映されている。
 震災では約1万6000人の命が奪われた。
 3・11(サンテンイチイチ)と広く呼ばれるこの震災について、新海監督は週刊ダイヤモンドとのインタビューで、彼自身だけでなく日本社会を変える経験だったと話している。


東日本大震災では約1万6000人が命を失った

 映画でも自然災害の脅威が描かれている。
 新海監督は、「あすは我が身かもしれない」という、自らも含め多くの人が感じていることが映画の根底にあると語った。
 映画の中で登場人物の瀧が、東京で同じようなことがいつ起きてもおかしくない、と語る場面がある。
 ブロガーの吉永龍樹さんは映画について、
 「震災のショックを受け止めてあの規模の作品に消化するのに、およそ5年かかるということなのかもな」
とツイッターに投稿した。

■5)「聖地巡礼」

 『君の名は。』の映像の美しさも話題になっている。
 実在する場所をモデルにした場面も多い。
 あるツイッターユーザーは、ストーリーや演出、音楽なども良かったが、映像の美しさに一番感動した、とコメントした。

 ほかのツイッターユーザーたちは、モデルになった場所の写真を投稿している。
 ファンたちは長野県内の新海監督の地元や岐阜県、さらには都内にある「ロケーション」も訪れている。



映画の1シーン

 映画は海外の関心も集めている。
 カナダのアニメファン、イスマエル・ラモスさんはBBCの取材に対し、
 「映画の細かい描写一つひとつが非常によく考え抜かれていて、それぞれがとても精密かつ情熱的に作られている」
と語った。
 「美術と音楽、物語が完璧なバランスになっている」。

■6)日本のアニメ界の主流となる新世代か

 映画がこれほどまで成功したのには、若い世代やアニメファンを超えた、幅広い層の支持を得たことがある。
 そのため、新海監督は次の宮崎駿だと称賛する声も一部に出ている。
 「宮崎駿」はアニメの代名詞としてほぼ通用するほどで、日本のアニメ作品のファン層を海外にも広げた立役者として知られる。


日本では8月26日に公開された

 宮崎監督がスタジオジブリで制作した作品には、アカデミー賞を受賞した人気作「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」、「ハウルの動く城」が含まれ、これらの作品は全て、興行収入が100億円を超えている。
 あるツイッターユーザーは、「新海監督は『君の名は。』で、宮崎監督に近づいた」とコメントした。


『千と千尋の神隠し』は2003年にアカデミー長編アニメ映画賞を受賞している

 少し違う意見を持つ人もいる。
 前出のラモスさんは、「宮崎監督と新海監督のスタイルにははっきりした違いがある。両方とも非常に力強いスタイルだが」と語った。
 「2人に共通するのは、観客に旅をさせ、経験をさせる能力だ。
 アーティストであれば誰もが究極的に目指すところだろう」
 「模倣は最大の賛辞」という言葉が正しいと考える読者には、
 『君の名は。』の予告編を短編ホラーに作り替えたファンもすでにいる
ことをお伝えしておこう。

岡ゆづは/イベット・タン

(英語記事 Why the story of body-swapping teenagers has gripped Japan)
提供元:http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37503259



人民網日本語版配信日時:2016年10月1日(土) 2時10分
http://www.recordchina.co.jp/a151808.html

大ヒット映画「君の名は。」の中国上陸決定!
年内公開へ―中国メディア



 日本で数々の興行収入記録を塗り替えている長編アニメーション映画「君の名は。」の中国公開へ向けて、新たな進展が見られた。
 29日、日本の配給会社・東宝が、中国の提携先である光線影業とその傘下の彩条屋影業と共同で、同作品の中国公開へ向けて手続きを進めていることを発表した。
 中国のファンは、年内にも映画館でこの傑作アニメを見ることができる見込みだ。

 新海誠監督の力作となった「君の名は。」について、日本メディアは「新海誠監督の最高傑作」と評価し、興行収入は早い時期に100億円を突破した。
 日本のアニメーションでは宮崎駿氏に続き、興行収入100億円突破を達成した2人目のアニメ映画監督となった。
 日本での興行収入は現在、111億円に達しており、アニメーション映画の興行収入歴代6位に付けている。
 日本で同作品を見た人や業界関係者の評価は非常に高く、日本のネットユーザーからは「とても不思議な魔力がある」との声も上がっている。
 中国でも既に大きな話題となっており、中国公開を期待する声は日に日に高まっている。

 これまでにも中国公開のニュースはあったものの、噂の域を出ないものだった。
 しかし、映画評論サイトの時光網が微博(ウェイボー)公式アカウントで29日、「光線影業が中国公開を認めた」とし、今後外国映画の審査を経て、年内にも公開される見込みであることを明らかにした。

(提供/人民網日本語版・編集KN)



現代ビジネス 2016.10.01 貞包 英之山形大学准教授
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49807

『君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの
無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問

■大ヒットの理由――交差する東京と地方

 新海誠の映画『君の名は。』が、興行収入110億円を超える大ヒットを続けている。
 東京に住む高校生の男の子と、地方に住む同じく高校生の女の子が寝ている間に入れ替わる「スコシ・フシギ」なかたちで出会い、互いの身体で世界を経験していくうちに、次第に運命の人として受け入れていく。

 ヒットした要因のひとつには、そうした東京と地方の異なる若者の生活を、メリハリよく交差させ描いていたことがあるだろう。
 戦後ヒットした『君の名は』は、佐渡、東京、北海道を股にかけた一種のご当地映画としてあったが、今回の『君の名は。』も、都市と地方の生活をよく描く。
 主人公の一人の男子高校生は新宿・代々木・千駄ヶ谷を中心とする東京で学校とバイトを中心とした都会生活を送り、もう一方の女子高生は岐阜県飛騨のどこかをモデルとした「糸守」という村で実家の神社を守りながら暮らしているのである。

 ただし気になったのは、2つの場での生活の描き方にリアリティの差が感じられたことである。
 東京の街が、(いつもの新海誠の作品でのように)総武線沿線を中心に精緻に実在感をもって描かれていたのに対し、「糸守」は必ずしもそうはいえない。
 もちろん「糸守」の風景も綿密に取材され、部分部分は実在のモデルをもつのだろう。
 だが、それらが都合よく「編集」されることで、少なくとも、「地方都市」に暮らしたことのある者にとって「糸守」が、実在感の薄い街になっていることである。
 「地方都市」に暮らす人々は、イオンに赴き、ユニクロの服を着て、TSUTAYAに通う。

 より山中のいわゆる中山間地域なら、そうした場所はあるかもしれない。
 しかし過疎化が進む村には、あれほどの子どもや若者はおらず、物語を支えるような青春群像はそもそも成立しにくい。

■地方を救うという「語り」

 つまり「糸守」は、郊外や高齢化の風景を周到に排除した、いうなれば理想郷としてある。
 虚構であることがたんに問題なわけではない。
 自然やスピリチュアルなものなど、東京にないものを寄せ集め出来たいわば都合の良い反転像として、それはあるのではないか。
 そうして都会のまなざしによってつくられた負の鏡像としてあるから、「糸守」は容赦なく破壊されるようにもみえる。
  ネタバレになるが、物語のなかで、彗星が落ち、「糸守」は壊滅する。
 歪んでいるかもしれないが、筆者は『君の名は。』をみながら、「並行世界」のなかで東京に同様に彗星が落ち壊滅することを期待していた。

 新海誠の作品のなかでくりかえし描かれてきた、あの滴るような東京の風景が一瞬で四散する「シン・ゴジラ」的スペクタクルの快楽。
 何度も繰り返される誰の視線か分からない上空からの俯瞰のショットも、不穏な空気を醸しだしていた。
 だが結局、東京には彗星は飛来しない。その代わり、ある意味、東京の身代わりとして「糸守」が破壊されたのである。
 それだけではない。紆余曲折を経ながら、実は「糸守」に住む人びとは救われるが、だからこそいっそう都会ではなく地方だけが壊滅し、東京が無償のままそれを「救う」という構図が目立つ。

 3.11や熊本大震災、または「地方創生」のブームのなかで、地方は大都市によって救われるべき場所として、「食傷」気味になるほど語られてきた。
 問題は、そこで「救われる」のが、あくまで都会のまなざしによって「編集」された架空の「地方」だということである。
 多くの人がなお生きるショッピングモールやユニクロやTSUTAYAからなる地方の現実は無視される。

 『君の名は。』は、たしかに感動的な物語である。
 しかしその感動が、2010年代にメディアや政治的ドラマのなかでくりかえされてきた大都市が地方を救うという「語り」のレールを走っていることを忘れてはならない。
 その「語り」は、地方を「救う」べき対象として都合良く立ち上げるとともに、カネや情報の大量投下を招くことで、地方を東京に従属させる現実の構図をますます強めてきた。
 『君の名は。』に対する感動は、大都市優位のそうした構図を疑わない、一種の傲慢な思い上がりとおそらく結びついているのである。

■「誰か」を探す歴史

 ただし上から目線だけで、「救い」は実行されるわけではない。
 地方が「救われる」のは、自分を承認する何かに出会う機会として、むしろ切実に望まれているからではないか。
 この意味で、「地方創生」ブームや「絆」ブームには、誰かを「救う」ことで自分の存在意義を確認しようとする、東京を中心とした大都市の人々の不安をみるべきなのかもしれない。
 それを確認する上で、少し衒学的になるが、『君の名は。』のサブ・カルチャー的位置を簡単にみておこう。

 藤本由香里はその著書『私の居場所はどこにあるの?』のなかで、戦後の少女漫画は、「居場所」をみつけることを主要なテーマとしてきたという。
 居場所とは、自分がいても良いことを承認してくれる「誰か」がいる場所のことを意味しよう。
 「誰か」は、家族から友人、そして異性へと変わっていくが、その「誰か」に受け入れられる物語を読むことで、少女たち(と少女漫画を読む他の人びと)はうまくいかない家族生活や学校生活をやり過ごしてきたのである。

 それをひとつには前提としながら、90年代後半には、今度は主に男性向けのマンガやアニメで、出会いと承認をモチーフにした作品が流行り始める。
 後にセカイ系と呼ばれていく『エヴァンゲリオン』(1995-)や『イリヤの空、UFOの夏』(2001-2003)を代表に、主人公たちが特別の異性に受け入れられることが大切なテーマとなっていく。
 ただし異なるのは、セカイ系では出会いそれ自身は、充分に意味あるものとされていないことである。
 男女の出会いは、なぜかセカイの破局を救う特別の意味を担うとされることで、あくまで重要なものとみなされる。

 そうして男女の出会いが個人だけではなくセカイの運命を左右する、「公私」が重ね合わされた「神話」的な物語を、90年代後半以降、マンガやアニメはくりかえし語ってきた。
 新海誠はそのセカイ系のブームなかで育ち、生き残った作家といえる。
 出世作『ほしのこえ』(2002)は、地球を救うために戦う少女と、その少女との感情的つながりを時空を超えて信じる少年の姿を描くことで、今思えば、セカイ系をわずか25分のなかに煮詰めた作品としてあった。

 また後の『雲のむこう、約束の場所』(2004)や『秒速5センチメートル』(2007)でも、出会いをセカイの命運と同じくらいの重さで信じる男女が登場する。
 求められるのは、男女の互いの承認だが、離れ離れの「時間」や「空間」がそれを妨げ、個人やセカイの運命を左右する。
 そうした障害を乗り越えようとする(がなかなかうまくいかない)「遠距離恋愛」を描くことに、新海誠は執着してきたのである。

■地方への憧憬

 『君の名は。』は、こうしたセカイ系の流れを押し進めた作品とまずはいえる。
 ここで「遠距離恋愛」の障害になるのは、田舎に住む女が三年前の時空を生きていたという時間的パラドックスと、より単純には東京と「糸守」の空間的距離である。
 これまでも新海誠は東京と地方の隔たりを、主人公たちを分ける大きな障害としてしばしば描いてきた。
 主人公たちは青森と東京(『雲のむこう、約束の場所』)、栃木と東京と鹿児島(『秒速5センチメートル』)、東京と四国(『言の葉の森』)に引き裂かれ、少なくとも一度は関係を断つ。
 しかし東京と地方の距離は、思いを純粋なものへと高める装置にもなる。離れているからこそ、互いの心が試されるのであり、実際、新海誠の作品が描く特徴的な「空」の風景が象徴するように、主人公たちは東京と地方と離れているからこそ、どこかで通じ合っているという(しばしば一人よがりの)思いを募らせる。

 『君の名は。』でも、その点は同じである。
 東京や地方という離れた場所に、自分と心が通じ合う者がいると信じようとするのは、意地の悪い見方をすれば、現実にはそうした人がいないと諦めているからともいえよう。
 身近に住む人々はすぐに期待を裏切る。
 だからこそすぐには逢えない、自分の住む街の「外部」に、運命の人が憧憬されるのである。

■東京の膨張と「居場所」の内部化

 新海誠の作品では、こうしてしばしば自分の街に「居場所」を見出せない人がそれを遠くの街に求める。

 ただし『君の名は。』は、それだけでは終わらない。

 大きな違いは、ここでの遠距離恋愛がハッピーエンドで終わることである。
 これまでの作品では、運命の人であり続けるために、現実の出会いはしばしば不発に終わった。
 それに対して『君の名は。』では、物語のラストで、記憶を失っているにもかかわらず、二人は行き違う総武線の窓から互いをみつけ、最後には出会うのである。
 こうしたありえないほどの偶然が、それなりに納得がいくものに仕上がっているのは、ひとつには、二人の出会いが「大量死」を背景にしているからといえよう。
 やり直せないはずの時間を巻き戻し、別れた人にもう一度会うこと。
 それはとくに2011年の震災以降、この社会の多くの人びとが痛切に抱いてきた思いといえる。
 そうした私たちの願いを追い風に、大破局を生き延び、二人は出会う。

 しかしそれ以上にここで注目されるのは、この出会いが実現されるのが、あくまで東京の内部ということである。
 物語のラストで「誰かを探している」という思いを二人は抱えつつも、「誰か」を東京以外に探しに行こうとする素振りはみせない。
 地方出身の女は帰る場所を失い東京でOL生活を送っているようであり、東京に暮らす男も他の場所に出ることなくそのまま就職している。
 しかし結果としてみればそれは成功し、二人は総武線という極めてローカルな世界で最後に出会う。
 都市の外部に「誰か」を探すというロマン的幻想から覚めたものと評価できるかもしれないが、逆にいえば自分の身近で運命の人に出会えるというより深い夢を眠っているものともいえる。

 自分のすべてを肯定してくれる他者が、すぐ近くにいるという幻想。
 それは他者を入れ替わりによって身体的に経験したことから来ているのかもしれないが、だからこそそれは距離や時間の隔たりのなかで他者を必死に求める、新海誠自身が追求してきた屈折と鬱屈のセカイ系の物語が「死んだ」ひとつの瞬間でもある。
 その上で重要になるのは、こうした「死」が東京という巨大都市の肯定によって支えられていることである。

 現在、東京は外部を失ったまま膨張している。
 モノや仕事や情報を巨大に集め続けるなかで、主人公の女もいつのまにか引き寄せられているように、東京は内部に「地方」さえ孕む。
 そうして現実の「地方」から離陸する東京の姿を、『君の名は。』は浮き彫りにする。
 出会いを探すために地方という外部を必要としてきた新海的セカイ系のドラマは、この東京を受け入れ賞賛することで、終わりを迎えるのである。

■メタとしての「君の名は。」

 こうした結末から『君の名は。』をみなおすとき、実は東京の巨大化とその肯定こそ物語の主題であるかのように浮かび上がってくる。
 物語をあくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京で故郷の幻想と特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。
 退屈な日常の代償であるかのように、失われた美しい「地方」が妄想され、それに共感できる異性が探される。
 物語の背後にこうした散文的「現実」が解釈可能とすれば、『君の名は。』には、近頃さかんな地方賛美的なアニメとの一種の連続性が読み取れる。

 大洗を舞台とした『ガールズ&パンツァー』、『君の名は。』と同じ岐阜を舞台にする『氷菓』など、近年、美しい地方を背景とした「ご当地」アニメが人気である。
  これらのご当地アニメは、地方を大都市の理想にかない、それゆえ「消費」可能な商品に仕立てるが、『君の名は。』はそうした地方の「夢」を内部に組み込む。
 すでにない「糸守」を美しく夢見る二人が、その夢を手がかりに、運命の相手と巡り合う。
 ご当地アニメのメタ的な構造を、『君の名は。』は入れ込んでいる。

 この意味で『君の名は。』は、巨大化する大都市が消費可能なものとして地方を再編し、自分の内部に取り込む一つの形式として人気を集めたとみることができる。

■屈折や鬱屈を忘れることへの不満

 もちろんメディアのなかで地方が消費されるのは、これが初めてではない。
 ご当地の民謡が数多く作られた1920年代の新民謡運動、また1970年に国鉄が始めたディスカバー・ジャパンブームなど、地方に目を向け、消費する流行を近代日本はくりかえしてきた。
   後世の歴史家からみれば、2010年代の「ご当地」アニメの流行や、さらに『君の名は。』のヒットも、そのひとつとみえるかもしれない。

 ただしそうして地方が消費され続けてきた一方で、それと並行して戦後のアニメやマンガが、地方の軽薄な理想化に一定の留保を付け加えてきたことも無視してはならない。
 地方を賛美するだけではなく、それへの陰鬱な思いやアンビバレンツな感情を描くこと。
 たとえば少女漫画に地方社会を持ち込んだ記念碑的な作品として、紡木たくの『瞬きもせず』(1987-1990)が思い出される。
 山口を舞台にしたその物語では、「何もない場所」としての地方に対する高校生の鬱屈がよく描かれていた。
 またはより最近の岐阜の田舎を舞台とした『ひぐらしのなく頃に』(2002-2006(ゲーム))では、当初理想的な田舎として描かれる村が、実は血みどろの争いに引き裂かれた場所であることが分かる。
 「残虐な地方」そのものが消費のために誇張された像ではあるが、単純に地方を賛美することへの反省がそこに込められていたことも否定できない。

 『君の名は。』が消し去っているのは、こうした戦後サブ・カルチャーが積み上げてきた理想化された地方に対する反省なのではないか。
 少女漫画からセカイ系へと続く「居場所」探しの逡巡を「終わらせる」ことに並行して、『君の名は。』は、ご当地アニメ同様、戦後サブ・カルチャーが積み重ねてきた地方への鬱屈や屈折をきれいに漂白する。

 その意味で私が不満を持つのは、充分によくできたといえる『君の名は。』という作品そのものに対してではない。
 不満があるのは、無邪気にその作品を楽しむことによって、戦後のサブ・カルチャーが地方に対して積み重ねてきた反省や屈折の歴史を忘れ、それで良しとしているこの社会に対してなのである。

 何か劣等感の塊のような雰囲気が漂っている。
 これはアニメであってファンタジーなのである。
 それがたまたまヒットしたにすぎない。
 それを妬んでファンタジーの世界に現実を持ち込んで糾弾してもしかたあるまい。
 どうもいただけない。
 この人、病んでいるのではないだろうか?



無料ホームシアター http://mhometheater.com/2016/09/anime/62353.html
君の名は。
http://kissanime.ru/Anime/Kimi-no-Na-wa/Movie-720p?id=134020




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『バケモノの子』:「僕にしか作れないアニメ映画がある」

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●細田守監督インタビュー


ロイター 2016年 09月 29日 21:16 JST
http://jp.reuters.com/article/hosoda-mamoru-interview-idJPKCN11Z0LO

細田守監督「僕にしか作れないアニメ映画がある」

●9月27日、アニメ映画の細田守監督はロイターTVのインタビューで、宮崎駿氏を超えたいという望みはあるものの、「僕に宮崎さん的な映画を求めても仕方がない」と語った。 


写真はインタビュー動画から(2016年 ロイター)

[東京 27日 ロイター] -
 宮崎駿氏が2013年に長編映画製作から引退を表明して以来、日本のアニメ映画界をリードする存在と目されているのが、細田守監督(49)だ。

 細田監督はロイターTVのインタビューで、少年時代のヒーローだった宮崎氏を超えたいという望みはあるものの、「僕に宮崎さん的な映画を求めても仕方がない」と語った。
 「映画監督というのは、作るものがそれぞれ違うのが正しい姿。僕にしか作れない映画があって、僕にしかできない楽しませ方がある」と信じるからだ。

 細田監督の映画はカラフルで活気に満ちており、宮崎氏の後をたどっているようにも見える。
 だが、そのテーマには家族やアイデンティティーの問題が絡むことが多い。
 宮崎氏のスタジオジブリ作品のようにファンタジーの世界に没入したい観客には、失望感を与えることもある。

 2015年に公開されたファンタジーアニメ映画「バケモノの子」は、この年の邦画で観客動員数第2位、累計興行収入58億円のヒット作となった。
 同作品では、養父母の家を逃げ出した少年と、少年を弟子とし父親代わりに育てていく「バケモノ」(獣人)との絆を描いた。
 前作「おおかみこどもの雨と雪」でも、おおかみおとことの間に生まれたきょうだいを育てながら懸命に生きるシングルマザーが主人公だった。

 細田監督は、極めて均一的な社会である日本で、自分のアイデンティティーの意味を掘り下げていくことはしばしば理解されないといい、「それがある意味、今の日本だ」とみている。

 日本のアニメ業界でも依存度が高まっているCG(コンピューター・グラフィクス)については、
 「アニメの表現には、いろいろな正解があるはず。ディズニーやピクサーのやっているものしか正解ではない、と言い始めたらつまらないし、CGばかりでは表現が豊かとは言えなくなる」
と話した。

 10月25日―11月3日に開催される東京国際映画祭のアニメーション特集「映画監督 細田守の世界」では、長編「時をかける少女」などが上映される予定。





2016年9月27日火曜日

クレーマーに消された動画「UNAKO」::鹿児島県志布志市 ふるさと納税PR動画、大成功!!

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  とりたてて可もなく不可もない普通のPR動画だと思うのだが。
 個人的にはいい動画だと思う。
 そのまま素直に受け取とればいいことである。
 イヌがお父さんをやっているCMに気持ちが悪いと文句をつけてもしかたがないだろう。
 世の中には何かとイチャモンを付けたがるヤカラがいるということだろう。
 そういうクレーマーというのはどこにでもいるもんだ。
 でもそれによってこれがえらく話題になってしまい、
 PR動画を超えるPRに
なってしまった。
 当事者としてはホクホクだろう。
 「顔で泣いて、心で大笑い、してやったり!!」
ということになるだろうな。
 PRとはそういうものだ。
 アホなライターのいうことなど聞き流しておけばいい。
 これによって鹿児島県志布志市のウナギは一気にネームバリュウーが上がった
 クレーマー様、サマサマであろう。

 ニュースをみるたびにどこかでやっている。
 PR側にしたらたまらない。
 こんなに視線が集まったということは、PR超大成功になる。
 今年のPR動画大賞にノミネートされるかも。
 そんな賞があった?なら。
  

ロケットニュース24 2016-09-26-14-14-19
http://rocketnews24.com/2016/09/26/804439/

【間もなく非公開】
志布志市「養殖うなぎを女性に擬人化した動画」について職員に今後の対応をきいてみた

▼本日2016年9月26日に非公開となる動画「UNAKO」がこちら

●視聴回数 32,527 回

 日本一の養殖うなぎの水揚げ量を誇る、鹿児島県。そんな鹿児島県で最大規模となるうなぎの産地が、大隅半島の最東部に位置する「志布志市(しぶしし)」だ。

 今、その志布志市がYouTube上に公開した「養殖うなぎを女性に擬人化した動画」がネット上で多くの賛否を呼んでいる。
 「気持ち悪い」など、批判の声が多く挙がっているこの動画だが、志布志市がどのような意図で制作したのか、そして、多くの意見をどのように受け止めているのかを、志布志市に直接電話して聞いてみた。

・カメラに向かって「養って」と求める水着の女性

 ネットで話題となっている動画の舞台は、真夏のプールだ。
 水着を着たひとりの女性がそのプールに浮かんでいると、「彼女と出会ったのは、1年前の夏だった」という語り手の男性の声が流れる。

 カメラに向かって「養って」と求める水着の女性。
 「できる限りのことをしてやる。決めた」というその語り手の男性は、プールの水を天然の地下水だけにし、美味しいものをお腹いっぱい食べさせ、ぐっすりと眠れるようにしたと言う。

 そして次の夏、その女性は「さよなら」と言い残し去っていく。
 女性がプールに飛び込むと、その姿はうなぎへと変わり、続いてラストシーン間際ではジューっと音を立てながら焼かれるうなぎの蒲焼が映し出され、動画は幕を閉じる。

・志布志市で人気の品が「養殖うなぎ」

 これが、冒頭でもお伝えした、養殖うなぎ水揚げ量日本一である鹿児島県の中での有数のうなぎの産地である、志布志市が、ふるさと納税を推進するために制作したPR動画だ。

 「ふるさと納税」とは、国民が自ら好きな地方自治体へ寄附出来る制度。寄附のお礼として各自治体が “お礼の品” を進呈しているのが特徴で、県内トップクラスのふるさと納税額を誇る志布志市で人気の品が、養殖うなぎというわけである。

 動画が話題となっているその理由は、食べるために飼育されている養殖うなぎを女性に擬人化した点にあるようだ。
 ネットの声を探ってみると……

・ネットの声

「養殖うなぎのほとんどはオス」
「コレはどう考えても良くないな」
「本気で気持ち悪い」
「なぜふるさと納税を年上男性が若い女性を養うことに例えるのか」
「擬人化しないで普通に美味しいそうな鰻の動画でいいような」
「批判する程の代物には見えないんだが」
「面白いと思うよ」
「表現の自由でしょ」
「特産がうなぎとは知らなかったので買ってみたいと思いました」

 「良くない」「気持ち悪い」という批判の声が多く見受けられる一方、
 「面白い」「特産がうなぎと知らなかったので買ってみたい」などという声も挙がっているようだ。

・志布志市に直接電話で聞いてみる

 では、本動画公開にあたっての騒動を志布志市はどのように受け止めているのだろうか、筆者は志布志市役所に直接電話してきいてみたところ……

筆者:「動画はどのような意図で制作したのですか?」
 「豊かな自然と天然水で大切にうなぎを育てているということを伝えるためにこの動画を制作しました」

筆者:「ここまでの騒ぎになることは予想していましたか?」
 ある程度の反応は想定していましたが、ここまで多く批判の声が挙がるとは思っていませんでした

筆者:「動画の賛否に対してどのように考えていますか?」
 「本日中(2016年9月26日)に動画を非公開にすることが決定しました。
 これは、うなぎ養殖業者や販売業者などにまで悪影響が及んでしまう可能性があると考えたためです」

……以上である。

・動画が見られる時間はあとわずか

 スマホや自動車など、商品を擬人化したCMは多く見受けられるが、うなぎは生物であり食べ物であるために、ここまでの騒動に発展してしまったのかもしれない。
 いずれにせよ、動画が見られる時間はあとわずかとなる。



ニューズウイーク 2016年9月27日(火)18時40分 カビタ・スラナ
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/09/pr-1.php

 鹿児島県志布志市は、特産の養殖ウナギの宣伝用として、美しく情感たっぷりのネット動画を作った。
 志布志のウナギは、日本一豊かな自然環境のなかで贅沢かつ大切に育てられることをアピールしようとした。

 だがネットユーザーの目にはそうは映らなかった。
 ウナギを美しい少女に見立てた2分間の映像が公開された途端、女性蔑視だという批判が沸き起こり、まるでホラー映画だと扱き下ろされた。

 動画は、黒いスクール水着を着た高校生ぐらいの少女がプールで泳ぐ場面から始まる。やがて少女はカメラに向かって「養って」と訴える。

 ピアノの柔らかな音色とともに男性のナレーションが入る。
 「僕は決めた。彼女のために、できる限りのことをしてやると」
 「おいしいものをお腹いっぱい食べさせ、ぐっすりと眠れるようにした」

 動画はツイートを通して拡散された。

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 雪原 @ykhre
Japanese CM implicates kidnapping and cannbalism movie about "Eel girl" of Shibushi is getting attention and being a subject of criticism.
2016年9月26日 20:56
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 誘拐や共食いを連想させるとして、日本の志布志市の公式動画「ウナギ少女」がネットユーザーの注目を集め、批判の的になっている。

 市としては、「ウナギを大切に育てている」というメッセージを訴えるつもりだった。
 だがソーシャルメディアでは、女性差別であり少女の監禁や誘拐、共食いを連想させるという批判がよせられた。

 最後の場面で少女は「さよなら」と言い残してプールに飛び込み、ウナギになる。
 その直後、ジュージューと焼かれるウナギの蒲焼が画面いっぱいに映し出される。

 あるツイッターユーザーは「誘拐され監禁されている少女を想像させる。まるで変質者の妄想だ」とコメントした。

 市の担当者が動画を削除したのも当然だろう。

 今月に入って最大野党の民進党に初の女性党首が誕生したものの、経済活動に占める日本の女性の地位はいまだ低いままだ。
 スイスのジュネーブに本部を置く非営利財団、世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数」における日本の順位は、2014年は世界142カ国の中で104位、2015年版は145カ国中で101位だった。
 日本はカザフスタンやバングラデシュ、ジンバブエよりも順位が低い。



Wedge 2016年9月28日 網尾歩 (ライター)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7853

スク水少女が「養って」

 クリエイティブは難しい。
 センスの良い発想なんて誰にでもできるものではないし、アイディアを絞り出した挙句に二番煎じになるのはよくあること。
 これだと思ってつくりあげたものが、完全にスベることもある。

 限られた予算の中、地方自治体をPRするためのCMをつくるのもなかなか難しい仕事なのだろう。
 斬新さがなければ注目されないどころか最後まで見てもらえない。
 他との差別化を図らなければいけない。
 「この動画、オチがすごい!」とつぶやいてもらうことができれば拡散効果があるから、何らかのオチがつくことが好ましい。

 奇を衒ったまでは良かったが、目論見が完全に外れたのが鹿児島県志布志市のふるさと納税PR動画だ。
 動画の内容をかいつまんで紹介すると、こうだ。

 スクール水着の少女がプールの中にあらわれ、カメラに向かってすがるような目線で「養って」と言う。
 「その日から彼女との不思議な暮らしが始まった」
 「僕は決めた。彼女のためにできる限りのことをしてやると」
という男性のナレーションがかぶさり、少女はプールサイドのテントに入って「私の家!」とはしゃいだり、フラフープをしたり、ご飯を食べたり。
 その間、ずっと水着姿だ。
 ホースから顔に水を浴びせかけられたり、ペットボトルをつかもうとして、なぜかぬるぬると滑ってつかめず、3回繰り返すという描写もある。

 その後、少女は「さよなら」と言ってプールに飛び込み、ここで初めて彼女の正体が明かされる。
 「その美しい人の名は、うな子」というナレーション。
 そして飛び込む少女の姿がウナギに変わる。
 「志布志の豊かな自然で育ちました」というナレーションと、「たいせつに、養ってます」の文字。
 そして、ウナギのかば焼きのショット。
 かぶさる
 「うなぎ養殖日本一の鹿児島でナンバーワン!」
 「志布志のうなぎを、ふるさと納税で。日本一志の多いまち志布志市」
の文字。
 最後にまた、別のスクール水着の少女が表れる。少女は先ほどの少女よりさらに幼く、子どもっぽい声で言う。
 「養って」。

 志布志市は動画のタイトルを最初は「少女U」としていたが、炎上後に「UNAKO」に変わった。
 タイトルがUNAKOだとネタバレになるが、「少女」を強調したタイトルよりは良いという意図だったのかもしれない。

■養殖ウナギはオスばかりという指摘

 野暮を承知で動画の意図を説明すれば、下記のようなことになるだろう。

 少女にスクール水着を着せたのは、スクール水着の質感がウナギの皮膚と似ていたから。
 「養って」は「養殖」から連想した言葉。
 フラフープをするのはウナギのくねくねした動きの再現、手がぬめってペットボトルをつかめない様子を強調するのはウナギであることの伏線。
 「家」やごはんのくだりは、専用の飼育水槽や餌料を開発するほど、養殖ウナギプロジェクトに力を入れてきたことを表現しているのだろうし、長いホースは、わざわざ天然の地下水を引いてきたことを言いたいのだろう。
 最後に出てくる少女がメインの少女よりさらに幼く見えるのは「稚魚」だから。

 しかし、ここまで細部にこだわったなら、なぜ肝心のウナギを「少女」にしたのだろう。
 ネット上では養殖ウナギは大半がオスだという指摘が相次いでいるが、静岡県水産技術研究所のサイトによれば、養殖ウナギがオスばかりというのは事実だという。
 擬人化する際に「少年」ではなく、わざわざ「少女」にしたのは、そのほうが「絵になる」という判断があったのではないか。
 もしくは、志布志市の養殖ウナギは他と違いメスが多いのだろうか。

 さらに穿った見方をすれば、「養って」と少女に言わせ、「僕」が少女を飼うという図式に「面白み」「斬新さ」があると制作側が判断したのだろう。
 奇を衒うのであれば、ウェットスーツを着た中年の男女がプールから現れ「養って」と言う方が視聴者を戸惑わせるのではないかと思う。
 稚魚から育てるという性質上、中年ではダメなのかもしれないが、オスの多い養殖ウナギを少女にするのであれば、それぐらいアリではないか。
 中年を最後は「食べる」ことは気持ち悪いのだろうか?
 いや、中年は気持ち悪くて子どもならいいというのは変態的だ。

 少女にしろ少年にしろ、年少者が媚びた様子で「養って」と口にするのは、大人がそれを言うのとは違い、冗談になりづらい。
 何が笑いになり、何が笑いにならないかは個人的な感覚の差が大きいが、年少者を「社会的弱者」と理解している人であれば、この「養って」に不穏な空気を感じるだろう。

 しかも、「養って」と言った少女を結局はかば焼きにして食べるのである。
 「気持ち悪い」という拒否反応を示す人がいて当然だ。
 これが人間の業を表現するアートなら面白いかもしれないが、うなぎという食べる特産品をPRするCMとして適切とは到底思えない。

■制作者が「ピュア」で良いはずがない

 「少女をうなぎに擬人化したPR動画、削除理由と制作意図を聞いてみた」(ウートピ)によれば、制作を担当した博報堂の担当者は「動画はうなぎを天然水でストレスがかからないように大切に育てているということを一番に伝えたかったもので、性的なものをイメージさせる意図はまったくありませんでした」
と答えたという。

 随分とピュアな言い分だ。
 ネット上では早速、「エロいと思う方がエロいんだ」とCMを擁護する意見があがっているが、スク水の少女、フラフープ、ぬめぬめ、ホースからの放水、媚びるようなセリフ、これらを総合して本当にエロくないと思うのだろうか。
 胸に手を当ててほしい。事実としてアダルトビデオやイメージビデオによくある演出であることは否めない。

 とはいえ、見る側で「エロくない」と言い張る人がいるのは個人の自由だ。
 しかし制作側が「性的な意図はなかった」とは、浅はかだったとしか思えない。
 広瀬すずが焼きそばにマヨネーズをかけ、「全部、出たと?」と言うCMのセリフは差し替えになった。
 このような前例を広告制作側が知らないとしたらそれは勉強不足、危機管理不足だろう。
 「ピュア」は「純粋」「純真」という良い意味で解釈される場合が多いが、裏を返せば世間知らずの無知である。
 職業人のピュアはときとして洒落にならない。無知はセンスの良いクリエイティブにつながらない。

 ウナギに罪はない。養殖ウナギの研究に励む志布志市の現場の人たちも、こんな逆PRをされて気の毒だ。
 これ、典型的なクレーマー記事である。
 本人が自覚していないところがスゴイ!


Record china配信日時:2016年9月28日(水) 13時50分
http://www.recordchina.co.jp/a151531.html

ウナギを水着姿の少女に擬人化、
日本で批判殺到のふるさと納税動画
=中国でも注目集める

 2016年9月28日、鹿児島県志布志市がふるさと納税をPRするために公開した動画が中国や台湾で話題になっている。

 動画では特産のウナギを水着姿の少女に擬人化し、少女がプールで泳ぎ生活する姿をウナギの養殖として表現している。
 「性差別だ」との批判が相次いだことから同市は26日に動画を削除したが、ネットでは依然として動画出回っており、中国や台湾のメディアも取り上げた。

 この動画に関して中国のネットでは、
 「日本人はどうかしてる。少女を利用してオタクの消費を狙っているのか?」
と批判する声も聞かれたが、少数派意見だった。
 「ふるさと納税に関しては中国人も見習うべき」
 「食べ物に対する深い愛がこもっている」
と肯定的な意見がある
 一方で、
 「焼いて食べちゃうなんて、何か悲しい」
 「この動画を見た後でウナギを食べる気にはならないな」
面白おかしくとらえる反応が大多数だった。





2016年9月24日土曜日

読んで吹き出した自殺防止の立て看板:「一寸待て ハードディスクは 消したのか?」

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Record china配信日時:2016年9月24日(土) 2時10分
http://www.recordchina.co.jp/a151054.html



 2016年9月23日、「自殺を半減させた立て看板」として日本のインターネット上で一時期話題になった画像が、海を越えて話題になっている。
 台湾のネットに掲載された記事。

「一寸待て ハードディスクは 消したのか?」 

 海を背にした断崖絶壁に立つ看板。
 これが、「自殺を半減させた立て看板」として一時ツイッターで話題になり、50万リツイートを記録した。
 自分のパソコンのハードディスクに保存された他人には絶対に見られたくないデータというのは、誰にでも大なり小なり心あたりがあるのではないだろうか?
 そんなものを残したままこの世を去ればどうなるか…?
 これがよくありがちな説教じみた文句よりも、よほど自殺の抑止力になると評判なのである。
(※注:この画像の真偽については定かではなく、コラージュ画像との推測も。元ネタとなっているのは、和歌山県白浜町にある牟婁大弁財天の立て看板「死んで花実が咲くものか」だとされている)

この画像は台湾のSNSでも広く取り上げ、以下のようなコメントが寄せられた。

「これは…本当に言い得て妙だ」
「自殺を思い立った時は、本当によくよく考えないとならないな」
「でもこれ、男性のみに有効ってやつ!?」
「女性だったら『あなたのクローゼットの中の服や靴やバッグ、全て着倒しましたか?』でいいんじゃない?」

また、うまいこと茶化した以下のようなコメントも見られた。

「さあ、ハードディスクもすべて整理した…と思った瞬間、波多野結衣(※注:セクシー女優)の新作を見つけたら?」
「死にたい理由はむしろ、ハードディスクの中身がすべてすっ飛んでしまったからなのだが」
「待て。ネットの閲覧履歴も全部消したか?」
「ハードディスク?消せるもんか。
 これこそ俺が存在したことの証明じゃないか」
(翻訳・編集/愛玉)

■愛玉プロフィール
中国語翻訳者、ライター。 重慶大学漢語進修課程で中国語を学ぶ。その後、上海で日本人向けフリーペーパーの編集、美容業界誌の中国語版立ち上げなどに携わる。中国在住経験は4年。レコードチャイナの編集員を経て現在、北海道へ子連れIターン移住。フリーで中国ニュースの翻訳や中国関連の執筆などを行う。得意分野は中国グルメ、中華芸能。
連絡先:writeraitama@gmail.com


 まさに、吹き出しものですね!!




2016年9月22日木曜日

バンジージャンプでロープほどけプールに落下:: 


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 恐ろしいですね、こんなこと。
 ほどけない安全装置をつけておくべきでしょう。
 バンジージャンプは一度だけだが挑戦したことがある。
 脳味噌の細胞血管が切れたのではないかとおもうほど、脳がじんじんした。
 安全をとって丸一日寝ていた。
 ちなみにその時は40歳の中頃であった。
 その後、知り合いがニュージーランドでバンジーをやったという。
 彼は確か60歳くらいではなかったか。
 「問題なかったよ!」
と言って、スマホの動画を見せてくれたが。
 彼はそういえばスーパーマン的な雰囲気をもっていた。
 普通の人はとても60歳でバンジーはやれないだろう。


フジテレビ系(FNN) 9月22日(木)19時32分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160922-00000992-fnn-int

バンジージャンプでロープほどけプールに落下 
女性けが



 バンジージャンプで、絶対あってはならないことが起きてしまった。
 高さ42メートルのジャンプ台に、両手を挙げて立つ女性。
 体を空中に投げ出した次の瞬間、つながれていたはずのロープがジャンプ台から離れ、女性はそのまま落下してしまった。

 これは、14日午後6時ごろ、韓国・江原道のバンジージャンプ台で起きた事故の映像。
 女性は、42メートルの高さから真下のプールに落下し、全身を強打。
 首と胸に全治4週間のけがをした。
 悪夢のような体験をした29歳の女性は、事故の恐怖で、顔面まひの症状になってしまったという。
 けがをした女性は
 「このまま死ぬと思いました。
 ずっと思い出します。
 とても恐ろしくて、水を見るのも嫌です」
と話した。
 運営会社側は、
 「ジャンプ台に結んでいたロープがほどけてしまった」
と説明していて、警察は、業務上過失致傷の疑いで調べている。





2016年9月20日火曜日

元卓球女王と不動産王の夫婦の反日投稿:「日本のホテルで水道出しっ放しにしてやった」、ブラックリスト入り?

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●19日、環球網は、元卓球女子世界ランク1位の王楠さんの夫が日本のホテルで水道の蛇口を全開にしたと告白した件について、中国版ツイッター・微博でアンケートを行った。写真は王楠の微博。


Record china配信日時:2016年9月19日(月) 15時30分
http://www.recordchina.co.jp/a150722.html

中国「国辱の日」、
元卓球女王と不動産王の夫婦の反日投稿が物議
=「9・18忘れるな」

「日本のホテルで水道出しっ放しにしてやった」―中国メディア



 2016年9月19日、鳳凰体育によると、中国で日本による侵略を許した「国辱の日」とされる18日、中国の元卓球女王、王楠(ワン・ナン)さんと夫で不動産王の郭斌(グオ・ビン)氏がネット上に反日的な投稿をし物議を醸している。

 満州事変の発端となった柳条湖事件から85年の18日、郭氏は、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)に
 「中国人は国辱を永遠に忘れてはならない」
 「日本へ行ったことがあるが、日本製のものは家電を含めて何も使ったことはない。
 日本のホテルでは水道を出しっ放しにしてやった」
などと投稿。
 王さんもこの投稿に「いいね」した上で「9・18を永遠に忘れてはいけない」と書き込んだ。

 郭氏の投稿はわずか1日で1500回以上転送され、1000以上の「いいね」が付けられた。
 ネット上では賛同の声がある一方、「幼稚すぎる行動だ」「水資源の浪費でしかない」などの批判も多く出ている。



Record china配信日時:2016年9月20日(火) 9時30分
http://www.recordchina.co.jp/a150753.html

反日コメントで物議の中国著名人、
投稿削除し説明するも「日本の時計を愛用」と攻撃遭う―中国


●20日、中国の元卓球女王、王楠氏と夫で不動産王の郭斌氏がネット上に反日的なコメントを投稿し物議を醸したが、郭氏が問題の書き込みを削除したことが再び注目を集めている。写真は郭氏。

 2016年9月20日、中国の元卓球女王、王楠(ワン・ナン)氏と夫で不動産王の郭斌(グオ・ビン)氏がネット上に反日的なコメントを投稿し物議を醸したが、
 郭氏が問題の書き込みを削除したことが再び注目を集めている。

 満州事変の発端となった柳条湖事件から85年の18日、郭氏は中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で「国辱を忘れてはならない」と呼び掛け、
 「日本へ行ったことがあるが、日本製のものは家電を含めて何も使ったことはない。
 日本のホテルでは水道を出しっ放しにしてやった」
などと投稿した。
 夫の投稿に王氏は「いいね」した上で「9・18を永遠に忘れてはいけない」と書き込んだ。

 この書き込みには賛否両論が聞かれ、反日的な部分がクローズアップされたが、郭氏の書き込みでは、
 「ただ、(水道を出しっ放しにしても)意味はない。われわれはもっと努力する必要がある」
と結んでいる。
 書き込みを転載される際にこの部分が省かれ、メディアでも反日的な部分に注目した。

 郭氏はその後、問題の書き込みを削除し、謝罪はせず
 「特定の分野で力をつけたいのなら、かつての幼稚な過ちを素直に認める勇気も必要」
と投稿。
 さらに、妻の王氏も本意を曲解されたと書き込んでおり、中国メディアでは
 「2人は日本のホテルで水を出しっ放しにしたことは幼稚な行為であると考えており、ただその過去の幼稚な行為を歴史的な日に語っただけなのだろう」
との報道も見られている。

 ところが、郭氏と王氏の説明に攻撃的なコメントが集まり、郭氏の書き込みのうち
 「日本へ行ったことがあるが、日本製のものは家電を含めて何も使ったことはない」
の部分に対して、ネットでは、
 「郭氏が公開した写真では、何度も白い時計が映っており、この時計は日本ブランドであることが分かる」
と非難する声も聞かれた。
 郭氏が日本でかつて行った行為に対しネットでは「熱血な中年」と行為を支持する声がある一方、「愛国とは関係ない」と批判的な声の方が多かった。



Record china配信日時:2016年9月20日(火) 10時10分
http://www.recordchina.co.jp/a150762.html

日本のホテルで蛇口全開!
元卓球女王の夫の「反日」行動、あなたはどう思いますか?
=中国でのネットアンケートは意外な結果に!?

 2016年9月19日、環球網は、元卓球女子世界ランク1位の王楠(ワン・ナン)さんの夫が日本のホテルで水道の蛇口を全開にしたと告白した件について、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)でアンケートを行った。

 満州事変の発端となった柳条湖事件があった18日、王楠(ワン・ナン)さんの夫である郭斌(グオ・ビン)氏は中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で、
 「日本へ行ったことがあるが、日本製のものは一切使わなかった。
 卑しいことながらホテルで水道を出しっ放しにして溜飲を下げた。
 実はこれは意味のないことだ。
 私たちはさまざまな面で頑張らなければならない」
などと投稿し、王さんもこれを支持した。
 王楠さん夫婦といえば、結婚式の際に福原愛が介添人を務めたことでも知られている。

 郭氏のこの行動について、環球網はネットアンケートを実施。
★. 「支持する。私の心の中の愛国の方法とまったく同じだ」
★. 「国を愛する気持ちは理解できるが、方法が適切ではない」
★. 「恥である。愛国は構わないが、これほど見境がないのはいただけない」
★. 「どうでもいい。自分とは関係ないことのように思う」
★. 「その他」
の五つの選択肢の中から一つを選ぶものだ。

 アンケートには20日午前9時の時点で5000人余りが回答
 最も多いのが「恥である。愛国は構わないが、これほど見境がないのはいただけない」で57.7%。
 以下、
 「国を愛する気持ちは理解できるが、方法が適切ではない」が25.4%、
 「支持する。私の心の中の愛国の方法とまったく同じだ」が9.3%、
 「その他」が3.8%、
 「どうでもいい。自分とは関係ないことのように思う」が3.8%
となっている。
 一部の中国メディアは「支持が多数」などと報じていたが、それとは異なる結果になっている。



Record china配信日時:2016年9月22日(木) 17時50分
http://www.recordchina.co.jp/a151001.html

「日本のホテルで水を出しっぱなしにしてやった」中国元卓球女王の夫、
中国大手旅行会社のブラックリスト入りも―中国メディア

 2016年9月21日、中国の元卓球女王、王楠(ワン・ナン)さんの夫で不動産王の郭斌(グオ・ビン)氏が、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)上で日本の侵略の歴史を批判し、「日本のホテルで水を出しっぱなしにしてやった」などと投稿し物議を醸した問題で、中国の旅行予約サイト、携程網(Ctrip)の関係者は「非文明的な行為だ」と批判した上で、同氏のブラックリスト入りを検討すると明らかにした
 網易旅遊が伝えた。

 中国で日本による侵略を許した「国辱の日」とされる18日、郭氏は、ウェイボーに「中国人は国辱を永遠に忘れてはならない」「日本へ行ったが、日本製のものは家電を含めて何も使わなかった。
 日本のホテルで水道を出しっ放しにして、うっぷんが晴れた」などと投稿。
 王さんもこの投稿に「いいね」した上で「9・18を永遠に忘れてはいけない」と書き込んだ。

 携程網の関係者は、郭氏の行動を
 「典型的な非文明旅行だ。
 海外の旅行業界、特に水資源が乏しい国や環境意識の強い国から反感を買う」
と批判。
 社会的な影響も大きく、中国人観光客のイメージ低下にもつながるとして、
ブラックリスト入りも検討していると明らかにした。

2016年9月14日水曜日

斎藤秀雄:嬉遊曲、鳴りやまず

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● 斎藤秀雄:嬉遊曲、鳴りやまず


wikipedia 齋藤 秀雄(さいとう ひでお:
1902年5月23日 - 1974年9月18日)は、東京府出身の日本のチェロ奏者、指揮者、音楽教育者として活躍した音楽家である。
英語学者として有名な斎藤秀三郎の次男として東京築地明石町に生まれ、1906年から麹町五番町(現在の東京都千代田区一番町)に育つ[1]。音楽に興味を示したのは12歳の頃からで、最初に演奏したのはマンドリンだった。後に「オルケストル・エトワール」というマンドリンオーケストラを組織し、『フランス民謡「歌えよ小鳥やよ歌え」の主題による八つの変奏曲』などの曲を残している。
16歳からは宮内省にいたチェロ通の職員からチェロの手ほどきを受けはじめる。その後、暁星中学校を経て上智大学に入学したが、音楽に専念するため退学。22年には当時作曲家、指揮者として有名だった近衛秀麿(内閣総理大臣を務めた近衛文麿の実弟)に随伴して、ドイツに留学。ライプツィヒ音楽学校に入学してチェロの名教師ユリウス・クレンゲルに学ぶ。

終戦後、巌本や森正らの室内楽活動に手を貸す傍ら、1948年には井口基成、伊藤武雄、吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが後の桐朋学園の一連の音楽系学科開設につながっていく。齋藤は同学園にて弦楽部門を担当する。1952年には桐朋女子高校音楽科主任、1961年から1972年まで桐朋学園大学教授を歴任。1955年には海外に長期滞在することとなった井口の留守を預かる形で桐朋学園短期大学学長に就任。1964年には桐朋学園弦楽合奏団を結成し、アメリカ公演を行い、成功を収める。1967年には日本指揮者協会会長に就任。その後は新日本フィルハーモニー交響楽団顧問を務めた後、1973年文化功労者。癌のため1974年9月18日に東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。
没後、齋藤の教え子が主体となってサイトウ・キネン・オーケストラやサイトウ・キネン・フェスティバル松本が創設され、2000年に死去した齋藤の夫人・齋藤秀子の遺言により財団法人ソニー音楽芸術振興会によって2002年に「齋藤秀雄メモリアル基金賞」が創設されるなど、齋藤に因む賞やイベントが多く行われている。
指揮法教程[ソースを編集]






●Hideo Saito (1966)
2009/12/11 にアップロード




●齊藤秀雄 ヴィヴァルディ「四季」から「秋」 徳永二男1964年
2011/09/08 にアップロード




●斉藤秀雄 教える事は学ぶ事 (NOV 1973 インタビュー)
2014/04/20 に公開




●日本の巨匠①山田耕筰・斎藤秀雄・近衛秀麿
2010/04/09 にアップロード





2016年9月4日日曜日

スマホの時代になぜ?:日本の公衆電話回線が増加した理由

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Record china配信日時:2016年9月4日(日) 8時0分
http://www.recordchina.co.jp/a148983.html

スマホの時代なのになぜ?日本の公衆電話回線が増加した理由


●4日、携帯電話の普及により減少し続けていた日本の公衆電話回線が、今年度は26年ぶりに前年度比で増加する見通しであることが分かった。

 2016年9月4日、韓国・聯合ニュースはこのほど、携帯電話の普及により減少し続けていた日本の公衆電話回線が、今年度は26年ぶりに前年度比で増加する見通しだと伝えた。

 日本の従来の一般用公衆電話は1984年度の93万5000回線をピークに91年度以降減り続けてきた。
 昨年度は17万1000回線で、ピーク時の20%以下に減少。
 今年度も撤去が相次ぎ16万3000回線に減少する見通しだという。

 一方、災害時に備えて避難所などに設置される特設公衆電話は増加している。
 特設公衆電話は災害で停電しても使用することができる上、
 通話が殺到した場合でも通信規制がかからないように設計されている。
 普段は使われず、災害発生時の家族の安否確認や支援を要請する緊急連絡など被災地の重要な通信手段として使われる。

 道路が使えなくなるほど大きな規模の災害が起きると、公衆電話の回線設置が難しくなるため、NTT東日本と西日本は各自治体と公衆電話回線の“事前設置”を推進してきた。
 事前設置は東日本大震災が発生した翌年の2012年から本格的に広がり始め、昨年度には前年度比で8000回線増加し、全国で5万回線に迫った。
 今年度もNTTが順番に設置を進めており、一般用公衆電話回線の減少分を補って公衆電話回線全体で増加に転じると予想されている。

「発想の貧困」ここに極まり、究極のくだらなさ:小便しながらテレビを見る、ニーハオ・トイレのガラス張り、究極トイレを追求する中国のすごさ

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 「発想の貧困」がここまでいくとは思わなかった。
 トイレにテレビを置いてどうする!?
 中国「トイレ革命」と銘打つよりも、発想革命をしたほうがよくない!!


Record china配信日時:2016年9月4日(日) 7時30分
http://www.recordchina.co.jp/a149418-5.html

韓国メディアも注目!
中国の「トイレ革命」の行方―中国紙
 

 2016年9月3日、環球時報によると、韓国紙・中央日報が中国の「トイレ革命」について報じた。

 江蘇省宿遷市の開発区に最近、設置された公衆トイレには、
 ATMや自動販売機、ベビールームなどの施設が設けられ、
 無料のWi−Fiサービスも提供されている。
 さらに、
 併設された部屋にはテレビや新聞各紙が用意されているという。
 担当者によると、
 今後は書籍や雑誌も増やしていき、お湯のサービスや、電動バイクの充電設備も整えるそうだ。
 同市は来年から、全市にこのような多機能公衆トイレを普及させていくとしている。

 中国国家旅游局は昨年、3カ年の「トイレ革命」の実施を発表した。
 観光地や一般の公衆トイレの改善を進めており、3年間で2万4000カ所を改修、3万3000カ所を新設する計画だ。
 同局は今年、計画に125億元(約1930億円)を投じることを発表している。
 このほか、北京市は“第5空間”と称して休憩室などを設けた高級公衆トイレを設置するなど、地方政府がそれぞれ特色あるトイレ革命を打ち出している。





個人的感想 まともなのは下のものくらい] 




2015年11月02日15時12分  [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] comment3 sharemixi
http://japanese.joins.com/article/824/207824.html?servcode=A00&sectcode=A30

「中国のトイレ革命開始…国家イメージ変える」


●「中国の観光産業をグローバル経済地位に相応しいものになるよう育成していく」と述べる李亜瑩氏
 「中国にはまだ汚らしいトイレが多く観光客を不快にさせています。
 それを変えていきます。
 2017年までに全国に5万7000カ所の現代式トイレを新たに設置したりリニューアルしたりします。
 いわば『トイレ革命』です」

  1日、汝矣島(ヨイド)国会議員会館で開かれた「2015中国訪問の年 閉幕式」に出席するためソウルを訪問した李亜瑩中国旅游(観光)局旅行促進・国際協力社委員は「中国が観光客誘致のためにトイレ改善プロジェクトに着手した」と述べた。
 「国家イメージの改善事業をトイレから始める」
という意味だ。
 「製造業の国」中国がサービス国家として新た生まれ変わろうとしていることが分かる。

  李氏は海外観光客の誘致事業をデザインしている人物だ。
 閉幕式後、李氏に中国観光産業のいまを尋ねた。

  --トイレの改善を「革命」と表現しているわけは。

  「それだけ全面的に変えるという意気込みが込められている。
 すべての公共トイレは水洗式に変えていく。
 臭いを取り除き、無料で使えるようにする計画だ。
 習近平国家主席がことし7月の吉林省訪問で改めて強調した後、活動に弾みがついた」

  --観光産業の重要性を認識したということか。

  「その通りだ。
 中国は観光分野『515戦略』を推進している。
 先進観光市場の育成のための5大目標(文明・安全・市場化・便利性・経済性)を定めてこれを達成するための10大綱領と52項目の細部規則を推進している。
 中国観光産業もグローバル経済地位に相応しいものにしていこうとの趣旨だ」

  --ことしの「中国観光の年」をどのように評価するか。

  「韓国の観光客を誘致するための120件余りの行事が開かれた。
 特に、中央日報とともに推進した『韓国人が見る中国』写真公募展には約4000作品の出品があった。
 中国を訪問する外国観光客の17%が韓国人だ。
 韓国は重要な観光市場だ」

  --韓中観光交流に対してどのように考えているか。

  「事が上手く運ぶには天時、地利、人和が必須条件だ。孟子の言葉のように、そのうち最も重要なのが人和だ。
 観光は人和の核心だ。中東呼吸器症候群(MERS)の衝撃にもかかわらず、韓国を訪問した中国観光客数は今年1000万人を越えるものと予想されている。
 来年の『韓国観光の年』に合わせて更に増加する見込みだ。
 観光交流は両国関係発展の土壌だ」


通常なら「レストセンター」といったものを作り、その後ろとかにトイレを設置するもんだろう。
 トイレはトイレの仕事に徹すべきだと思うが。


Record china配信日時:2016年9月16日(金) 13時40分
https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=4595222439536306779#allposts/postNum=19

中国の大学に恥ずかしすぎるトイレが登場!
ネット騒然=「メンタルが強くないと…」
「完成形じゃないと信じたい」



 2016年9月15日、人民網によると、あるネットユーザーが投稿した男子トイレの写真が大きな注目を集めている。
 そのトイレは、湖南大学で新しく建設された大学院の建物内にあるといい、一番奥の個室の側面がガラス張りになっていて外から丸見えの状態だ。

 この写真に、ネットユーザーからは
 「メンタルがどれだけ強ければここでできるんだ」
 「仮面を付けて入らないと」
 「まだ完成形じゃないと信じたい」
 「マジックミラー…のはず!」
など、驚きの声が上がっている。



AFP=時事 10月1日(土)12時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161001-00000014-jij_afp-int

ガラス張り公衆トイレ、絶景も楽しめるけど外からも丸見え!? 中国

 
中国中部・湖南省長沙の景勝地、石燕湖にあるガラス張りの公衆トイレ(青い屋根の建物、2016年9月29日撮影)。(c)AFP

【AFP=時事】中国中部・湖南(Hunan)省長沙(Changsha)にある景勝地、石燕湖(Shiyan Lake)で9月29日、ガラス張りの公衆トイレの一般利用が開始された。



Record china配信日時:2016年10月1日(土) 5時10分
http://www.recordchina.co.jp/a151717.html

プライバシーなし!壁も天井も床も…、
全面ガラス張りのトイレが出現
=男女の個室を隔てるのもガラス1枚で丸見え状態―中国



 2016年9月29日、中国新聞網によると、湖南省長沙市の観光名所・石燕湖に、全面ガラス張りのトイレが登場し、観光客の注目を集めた。

 写真を見ると、トイレ内の壁や天井、床が全面ガラス張りになっている。
 また、個室の壁やドアは若干曇りがかっていて、微妙な“配慮”を見せているが、近づけばほぼ丸見えだ。
 さらに驚くことに、男子トイレの個室と女子トイレの個室の間の壁もこの“見えてしまうガラス”1枚でできている。
 多くの観光客が見物に訪れたが、実際に用を足す勇気のある人は少なかったそうだ。

 かつて中国の地方では個室の壁がない“ニーハオトイレ”もよく見られたが、これはまさに“現代版ニーハオトイレ”と言えるかもしれない。
 今回設置された驚きのトイレに、ネットユーザーからは
 「どこのバカがこんなの造ったんだ?」
 「頭おかしいでしょ」
 「注目を集めるためならなんでもやるんだな」
など、批判的なコメントが多数寄せられている。