_
『
現代ビジネス 2016/10/16 堀井 憲一郎コラムニスト
http://
gendai.ismedia.jp/articles/-/49956
日本史キリスト教
キリスト教を絶対に体内に取り込まない「日本文化」の見えない力
大正時代のクリスマスからわかること
日露戦争の勝利を転機に、クリスマスを「西洋気分を味わいながらはしゃぐ日」に変えた日本人。
そして大正年間に入り、日本の風俗の中にクリスマスは完全に定着していく。
同時に、キリスト教の宗教的な側面は断固として拒否しつづける日本文化の目に見えない力が浮かび上がってくる。
注:日本人とクリスマスの不思議な関係をずんずん調べる連載第13回。
(第1回はこちらから http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47056)
■「欧州大戦」の影響
大正年間は1912年の7月31日から、1926年の12月25日までの14年5ヵ月間である。
この15年足らずの期間に起きた出来事のうち、とても大きな出来事はこの二つであろう。
1914年からの欧州大戦。
1923年の関東大震災。
25年のちに再び欧州で大戦が起こるので、1914年のほうは「第一次大戦」といまでは呼ばれる が、当時そんな呼び方をする人はいない。
なので本稿でも1914年から18年までの戦争を〝欧州大戦〟と記すことにする。
日本はこの欧州大戦に参戦している。
ドイツと戦い、東洋から太平洋にかけてのドイツ権益を奪取する。
日露戦争に続き、この世界大戦でも勝利して、日本はますます変わっていく。
また、欧州大戦の影響でロシアに赤色革命が起こり、その革命干渉戦として(共産主義政権を倒す目的で)〝シベリア出兵〟が日米軍を中心におこなわれ、そこから米価が高騰し、ために1918年には米騒動が起こった。
大正年間の大きな出来事をもうひとつ加えるのならこの「米騒動」になるだろう。
ただこれも大きな視野から見れば〝欧州大戦の影響のひとつ〟と見ることができる。
二十数年後の第二次大戦の印象が強く、日本におけるこの欧州大戦の影響が語られることがないのだが、日本のいろんな運命は、この大戦によって変わってきている。
日本のクリスマスにも、その影響は出ている。
■クリスマス記事のパターン
大戦前年の大正2年、1913年12月10日のクリスマス記事には「この二、三年クリスマスの急に盛んになり、もう花やかなクリスマス装飾がそこここの町の中を春のよう彩っている」という相変わらずの記事が載っている。
ここ最近クリスマスが盛んになった、と、新聞はずっと書き続ける。
たしかに定着はしてきたようだ。
大正期のクリスマス記事はある定型ができていく。
まず12月の初頭、だいたい3日から遅くとも10日くらいまで「街ではもうクリスマス装飾が始まった」という写真入りの記事が入る。
ほぼ毎回、銀座の風景である。
そのあと「クリスマスの贈物には何がいいか」という記事が出る。
クリスマス用の舶来の玩具や、クリスマスカードなどの商品紹介がある。
だいたい明治屋、亀屋などの商品である。
そして12月23日から24日ごろに、都内各教会でのクリスマス会の予定日時が紹介される。
12月25日26日は、その紹介した教会での様子がレポートされる。
これがパターンである。
「装飾始まる」
「贈物紹介」
「祝会予定」
「祝会報告」。
この4パターンが繰り返される。
もちろんこれ以外のいくつかのクリスマス記事が載る年もある。
クリスマスは明らかに「12月らしい日本の風景」として定着していった。
どこまでも日本の風景である。
■どんどん日本仕様に
12月初めの記事は、たとえばこういう記事が載る。
>>>>>
「なかにも凝ったのは銀座の亀屋で『勅題・社頭の杉』にちなんだ店内一面の装飾は、芝居の舞台面を見るような大仕掛けになっている。
日光陽明門を背景に、二抱えもある大杉を立て、商品はよしず張りの掛け茶屋の中に飾られてある」
「大鳥居、春日灯籠、絵馬や奉納額が、数十本の桜と杉のあいだに並んでいる。
二階の朱塗りの大門の内では、エプロンをかけた美しい三人の給仕女が、誰彼の別なくココアを御馳走する」
<<<<<
こういう風景である。
とても楽しそうだけれど、クリスマス飾りが「日光東照宮」を見立てた飾りの中に置かれているのである。
そのときの明治屋も同じく社頭の杉の趣向で、階段を石段に見立て、杉の大木が数本、花ざかりの紅白の梅の木が十数本置かれ、そのあいまに無数の豆電灯が点滅している。
どちらも大正2年末の風景である。
新年の「歌合わせ」のお題が「社頭の杉」と発表されたので、そういう趣向になったらしい。
天皇家と神社と杉の木と、それとクリスマスが違和感なく(少しはあるが、まあ気にするほどではない)ここに同居している。
日本人は、自分たちに馴染めるようにクリスマスをどんどん変えて取り込んでいった。
■完全に子供向けだった
この時期のクリスマスは、完全に「子供向けのもの」として設定されている。
それは明治のころからそうだったし、昭和の終わりまでそうであった。
クリスマス贈物として紹介されているのは子供向け玩具だし、25日(前後の)クリスマス会も、ほぼすべて「子供向けの会」として報告されている。
>>>>>
「番町教会、午後一時過ぎ、太陽が斜めに堂内に流れこんで子供らの林檎のような顔はひときわ映えて美しい。
唱歌も対話も表情も可愛らしい出来。
日本メソヂスト教会でも、少年少女はよそ行きの着物を着飾って続々参集、今日は上草履が新しくなったと、なにからなにまで嬉しがる(……)十一時に散会した、子供たちは「もう一度クリスマスが来て欲しいなあ」と言っていた」(1913年大正2年)
「師走の街を尖り顔をして急ぐ人々をあとに教会のクリスマスに入ると、飾り立てた贈物いっぱいのツリーと自分の晴れ着を見比べて、茶目君はしきりにはしゃいでいる、べそ子は皹(ひび)の切れた頬を林檎のように紅くして、にこにこする、どこの教会も同じように嬉しそうな気分がみなぎっていた」(1915年大正4年)
「嬉しい歩みを教会堂へ運ぶいたいけな幼児が、昨日は昼から夜にかけて、各所の基督教の会堂を賑わした。
クリスマス、どんなにか一年のあいだを彼らは待ち侘びたのであろう、教会はまばゆいほどいつものように飾っている」(1918年大正7年)
<<<<<
あくまで「可愛い子供たちのお楽しみ会」というのが教会でのクリスマス会の様子であり、大人たちは微笑ましくそれを見守る、という形になっている。
大人がその輪に入るときは、童心に帰って、つまり子供と化して入るばかりである。
どこまでも、クリスマスは子供のための祝祭であった。
これも、「キリスト教祝祭の外側だけ受け入れて、その中身は受け入れない」日本方式のひとつであろう。
(もともと欧米においてもクリスマスは子供向けの側面があるが、日本ではよりそこを強調しているようにおもう)。
教会での〝本格的なクリスマス〟は本来、信者のための空間である。
ただ、子供だったら非信者でもいいだろう、という判断のようだ。
ものごとの判断がつかない子供だから、かまわない。
非キリスト教日本人からすれば、べつだんこれで子供がキリスト教徒になるわけではないから楽しいならいいだろう、ということである。
キリスト教会側としては、子供のころから通わせるとひょっとしてキリスト教徒が増えるのではないかという目論見があるのだろう。
数字から見るなら、日本人側の判断のほうが合っている。
子供のころにキリスト教教会に通ってもべつだんキリスト教信者になるわけではない。
それは〝ミッション系の中高一貫校〟に6年間通い、キリストの言葉に日々触れていようと、キリスト教に転向する者がほとんど存在しないのと同じである。
子供は自分ひとりの考えで転向はできない。
親に相談しないと、と考える。
親がキリスト教徒でなければ、ふつう反対される。
それが日本システムである。
16世紀以来培ってきている「反キリスト体制」なのである。
クリスマスを教会で過ごして、饅頭と玩具をもらったくらいでは転向しない。
ただ、キリスト教に対して漠然とした好意を持たせる、ということには成功はしているとおもう。
みんな表面的な気分ではキリスト教のことを悪くおもっていない。
でもそれだけのことである。
■日本の文化の底流の力
クリスマスは「子供の日」として、宗教的ではない行事として、日本に定着していく。
どこまでも、ひとつの風俗でしかない、ということである。
リスマスは、その周辺では騒ぐのだけれど、さほど重くとらえられた風俗ではないのだ。
たとえば、
日本のクリスマスに関する学術的な研究、はほとんど存在しない。
お祭りというのは、明治以降、学術研究の対象となっていったが、クリスマスはそういう扱いを受けていない。
明治以来受けておらず、いまだにそうである。
日本のクリスマスのあらゆる文献を片っ端しから見て行ったから、そのへんの状況はすごくわかる。
何というか、言い方は悪いが
「誰もまともに相手をしていない事象」なのである。
日本のクリスマスに関して、いつ始まったか、どれぐらい長くやっているか、どのように行われてきたのか、ほとんど誰も興味を持っていない。
つまり「明治時代からクリスマスのバカ騒ぎは始まっていた」と言うと、ほとんどの日本人が一瞬だけ驚く、ということを指している。
驚くだけである。覚えない。
何年か経ってその話をすると、みなまた、一瞬だけ驚く。
忘れる。その繰り返しである。
どう考えてもこれは、何となく興味を持っていない、というレベルのものではない。
必死で興味を持たないようにしている、としか考えられない。
絶対に興味を持たないように、みんなすごくがんばっているのだろう。
すごくがんばっているのだから、とりあえず見守るしかない。
それが、目に見えない日本の文化の底流の力である。
簡単に言ってしまえば、
キリスト教はいつまでも舶来のものであり、外に存在するものであり、
百年以上続いていようが、それは伝統的な存在としてはとらえない、ということである。
明確な言葉にされていない。
気分は共有している。
とても強い文化的な力である。
その潜在する文化的な力によって、クリスマスの「救世主が地球上に顕れた日」という部分をまったく無視して〝無垢な子供の日〟として、のちに〝恋人たちの浮ついた日〟としてあつかわれていくことになる。
』
『
●聖セイント☆おにいさん アニメ映画
予備:https://www.youtube.com/watch?v=RNjJ3Bfg49U
』
『
●海外の反応 アニメ 日本「聖☆おにいさん」ブッダとイエスのギャグ作品
』
『
●【外国人泣ける話】敬虔なイスラム教徒と聖☆おにいさんの映画を見に行くことに…orz【日本大好き外国人】
』