2016年8月30日火曜日

「女子中高生のセーラー服は市条例違反の犯罪にあたります」?:当局に連行、ウソー??

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Record china配信日時:2016年8月30日(火) 12時10分
http://www.recordchina.co.jp/a148913-0.html

繁華街に100人もの制服少女が現れる!
が、当局に連行…―上海市

 2016年8月27日、中国メディア・騰訊(テンセント)によると、上海市内の繁華街「田子坊」と「陸家嘴天橋」に26日、100人もの制服少女が現れた。

 制服少女たちが繁華街に現れたのは商品PRのためだったとみられるが、ポーズをとりながら市街を歩いていると、
 突然、地域の「城管(城市管理行政執法局の職員)」が
制服少女たちを一斉に摘発、連行した。
 制服少女たちはおとなしく連行されたが、その様子を写した画像がネット上に掲載され、話題となっている。

 城管は警察官のような外見をしているが、所属は市政府。
 城市管理行政執法局は都市管理のための行政機関の一つだが、その職員は横暴な振る舞いが問題視されることが多く、市民から良く思われていない。

2016年8月26日金曜日

『君の名は。』」が1分たりとも退屈させない秘密(1):大ヒットの理由を新海誠監督が自ら読み解く

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●「君の名は。」特報




●「君の名は。」特報



東洋経済オンライン 2016年08月26日 壬生 智裕 :映画ライター
http://toyokeizai.net/articles/-/133161

「君の名は。」が1分たりとも退屈させない秘密
新鋭アニメ監督・新海誠が語る作品の手応え


●映画『君の名は。』8月26日より全国東宝系にて公開  ©2016「君の名は。」製作委員会

 『秒速5センチメートル』や『言の葉の庭』など、詩情あふれる映像美と、せつなさを内包した物語世界で、国内外に熱狂的なファンを持つアニメーション監督・新海誠。
 そんな新海氏の最新監督作品『君の名は。』が8月26日より全国東宝系にて公開される。
 夢の中で入れ替わる少年と少女の、恋と奇跡の物語を描き出した作品で、作画監督に、多くのスタジオジブリ作品を手掛けた安藤雅司、キャラクターデザインに『心が叫びたがってるんだ。』の田中将賀など、日本最高峰のスタッフが集結している。
 さらに神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみ、市原悦子といったキャスティングにも注目が集まっている。
 同作品は東宝が配給し、新海監督の作品としては最多となる全国300スクリーン超の規模での公開が決定している。
 前作『言の葉の庭』の公開館数が23スクリーンスタートだったことを考えると大幅なステップアップで、新海監督への期待が高いことがうかがい知れる。
 今回、ヒットメーカーとしての飛躍が期待されている新海監督に、新作に対する手応え、思いなどを聞いた。

■最初から面白くなる手応えはあった

――作品が完成した今の心境は?

 毎日、絵コンテを1日15時間描き続けたり、途中で小説を執筆しなくてはならなくなったり、肉体的にはハードな時期もありましたが、今回の作品は絶対に面白くなるという手応えが最初からありました。
 出来上がった時の高揚感はこの上ないものでしたし、多くの人に納得してもらえる作品になったという充実した気持ちがあります。

――本作は、全国300館規模での拡大公開となります。
 これまでの新海作品の公開規模から考えると、大幅なステップアップだと思うのですが。

 ビジネス的な話で言うと、いいものを作ったから当たるわけではない。
 結局は「積み重ね」なんだと思います。
 たとえばジブリ作品には何十年もの積み重ねがあります。
 それはスタッフの技術の積み重ねもありますし、知名度の積み重ねもあります。
 その積み重ねがあって観客は「見てみようか」ということになる。
 細田守監督の作品も、観ようと思わせてくれる品質保証がある。

 しかし僕らの作品は、一部の人にはある程度知られていて、その品質を保証しているかもしれませんが、一般的には名前も知らないという人の方が圧倒的に多い。
 そんな中でどうやれば観てもらえるのか。
 それは、僕の考えを超えたところにあるような気がしています。
 もちろんいいものを作ったという自信がある上での話ですが。

――しかし東宝としては勝算があって起用したのではないでしょうか。

 そうですね。ただ、
 川村元気プロデューサーも最初は手探りだったと思います。
 この企画を始めた段階で、300館規模でやろうと決まっていたわけではなかったですから。前作の『言の葉の庭』は配給を東宝の映像事業部と組んだのですが、今回、川村さんともまずは東宝本体のラインナップに載せることを目標にしましょうと話し合っていた。
 だから最初からこの公開規模でやろうと言っていたわけではなかったんです。

■詳しくはないが電車が走る風景は好き


●300超のスクリーン数で上映、東宝配給作品の期待のアニメ映画となっている ©2016「君の名は。」製作委員会

――大きくなったのは結果論だったと。

 そうですね。
 そして東宝の会議でこの脚本が通り、さらに絵コンテを見た上で館数を広げようかという話にもなった。
 もちろんそれには東宝さんなりの裏付けや自信があってのことでしょうから、それを信じようと思いました。

――脚本を作る際、川村さんたちともディスカッションを重ねたと聞きましたが。

 川村さんをはじめ、いろいろな方と打ち合わせを重ねましたが、それでも、話そのものを変えてくれと言われたことは一度もありませんでした。
 2年前の7月に出した企画書のプロットと基本的には変わっていません。
 このセリフを変えた方がいいというようなことは一切なかった。
 むしろ監督がやりたいことのポテンシャルを引き出すためにどう見せたらいいか、ということに注力してくれたんだと思います。
 それをすごく感じました。

――新海作品はいつも電車のシーンが印象的ですが、今回も新宿や四ッ谷、千駄ヶ谷など、中央・総武線沿線の風景が非常に印象に残りました。
 鉄道はお好きなんですか。

 よく聞かれますが、実はあまり詳しくはないんです。
 撮り鉄でも、乗り鉄でもないですし、時刻表の見方もよく知らない。
 ただ電車が走っている風景は好きです。
 もっと言えば、電車のある風景にキャラクターを立たせるのが好きなんですね。
 目的の違う人たちがひとつの場所に集まって、別の場所に移動する。
 そういう情景が好きなんです。

 あの辺りを出したのも僕の生活圏だからという以上の理由はありません。
 自分が普段歩いているような、生活実感がある風景の中で物語を展開したかったんです。
 例えば外堀通りとか、近くの階段とか、坂道とか、そういった僕の好きな東京の風景を知ってもらいたかったという気持ちの方が大きいかもしれませんね。

■わかりやすいエンタメ要素が必要だった


●男女の入れ替わりをモチーフにしているが、ストーリーは予想できない展開に ©2016「君の名は。」製作委員会

――新海作品では、人と人との距離を描き続けてきたわけですが、今回も根本のテーマは変わらないように思うのですが。

 男と女でなくてもいいのですが、人と人とのコミュニケーションというものに特に興味を持っています。
 それは自分が思春期、20代だった頃にそれが悩みだったということが大きいです。

 やはり同じ人間が作っているものですから、宮崎駿さんも細田守さんも、押井守さんも同じテーマを繰り返し描いてきているわけですし、そこに迷いはないです。
 確かに今回もテーマは引き継いでいるかもしれません。
 でも、絶対に違う手触りの作品にはしたいなと思っていました。
 それこそ僕の作品を知らない人が観た時に、むしろ知らないからこそ新鮮なものとして映るでしょうし、そういう作品を目指しました。

――新海さんの自己紹介的な作品であると。

 そうですね。
 そういう気持ちはあります。

――小野小町の和歌
 「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」
をモチーフのひとつにしていると伺っています。

 分かりやすくモチーフという言い方をしていますが、その他にも映画『転校生』や、マンガの「らんま1/2」など、影響を受けた作品はたくさんあります。

――平安時代の「とりかへばや物語」もモチーフのひとつですね。
 もともと男女取り換えの物語をやりたいと思っていたのでしょうか?

 特にそれをやりたいと思っていたつもりではなかったです。
 でも、スタッフと話をしていたら、「新海さん『雲のむこう、約束の場所』(2004年公開)の頃に、『転校生』みたいなものをやりたいと言っていましたよ」と言われました。
 10年以上前の話なので、僕はまったく記憶になくて(笑)。
 だからやりたいという気持ちはあったのかもしれません。

 今回、東宝さんとやることになった時、分かりやすいエンタメ要素というのが絶対に必要だと思っていました。
 その強力な要素のひとつとして、男女の入れ替わりがいいだろうと思ったんです。

――とはいえ、単なる男女入れ替えものではくくれない、一筋縄ではいかない物語に昇華しています。

 『転校生』や「らんま1/2」は、男女入れ替えがテーマというよりも、ジェンダーそのものがテーマ。
 たとえば『転校生』だと、男の子になった女の子は、男らしくないと繰り返し言われるわけですし、それが面白さだったと思うんですけど、現代はそれをやってもなかなか響かないわけですよ。
 男の子に向かって、君は女の子っぽいよねと言うのも、女の子に向かって男の子っぽいよねと言っても、今は、それは単純な個性だし、魅力なんだと思うんです。

 今回の作品でも「スカート注意」とか、そういったジェンダーを強調した描写はありますけど、それ自身がテーマではないですね。
 2人は女になったこと、男になったことを悩むわけではないですから。別の人になったことに悩むわけなんです。

■1分たりとも退屈はさせない

●新海 誠(しんかい まこと)/ 映画監督。1973年生まれ、長野県出身。2002年、個人で制作した短編作品「ほしのこえ」でデビュー。2004年公開の長編映画『雲のむこう、約束の場所』で第59回毎日映画コンクール「アニメーション映画賞」を受賞。2011年の『星を追う子ども』では、第八回中国国際動漫節「金猴賞」優秀賞受賞。2013年に公開された『言の葉の庭』では、ドイツのシュトゥットガルト国際アニメーション映画祭にて長編アニメーション部門のグランプリを受賞した(撮影:今井康一)

――現代ならではの物語であると。

 もっと言えば入れ替えもののゴールとなる「元の姿に戻ること」を目的にするつもりはなかった。
 もちろん男女入れ替えものから自然発生的に生じるドキドキ感やコミカルさは欲しかったけれども、ジェンダーを浮かび上がらせることが目的ではなく、元に戻るために行動にするわけでもない。

 最初の予想とはまったく違う場所に連れていく作品にしなければいけないと思っていました。
 つまり他者への想像力、人を好きになること、そのもののメタファーのつもりで作りました。
 誰かを好きになるということは、「その人はどういう人なんだろう」と想像することですからね。

――新海作品の登場人物は、非常にまっすぐな印象を受けるのですが。

 僕自身はピュアというわけではないですが、誰かのまっすぐな気持ちというものを目のあたりにすると、勇気づけられたり、反省したり、背中を押されたりと、いろんな効果があるじゃないですか。
 そういう効果を持った作品にしたいというのがあります。
 自分が10代や20代の頃に観たとしたら、「こういう風に生きたい」とか、「励まされた」といったような作品を作りたいと思っているんです。

――今回はチャレンジした作品となるとおっしゃっていましたが、どのようなチャレンジになったのでしょうか。

 分かりにくいかもしれませんが、明快にチャレンジしたのは物語の部分で、107分という映画の時間をコントロールすること。
 その上映時間そのものが、監督の僕自身としてのテーマでした。
 それがどこまでできたかは分かりませんが、1分たりとも退屈はさせない、かつ予想もさせない、途中で興味を途切れさせない。
 107分という時間を、間違いなく面白いと思ってもらえるように、というのが僕の一番のテーマでした。

――長編は3本目となりますが、短編と比べてやりやすさはどうですか?

よく「短編と長編を交互にやっているんですか?」と聞かれるのですが、今まではたしかにそうだったかもしれません。長編をコントロールしようとやってみて、うまくいかずに課題が残ったので、「次は短編をやってみよう」ということをやってきましたが、今回の長編に関してはコントロールしきれなかったという後悔は一切ありません。

■日本の昔話はいろなヒントに満ちている


●風景の美しい描写も新海誠監督作品の魅力のひとつ  ©2016「君の名は。」製作委員会

――次回作は短編ですか。

 CM映像も含めて、やらなきゃいけないものはあります。
 そういうのをやりながらも、僕自身が、手掛けないといけないのは長編映画を再び作ることだと思っています。
 観客に「楽しかった」と思ってもらえるような、サービスを尽くした作品をもう1~2本、長い映画を作らなければいけないと、今は思っています。

――大変だったけれども、楽しかった、そしてもう1本やりたいということでしょうか。

 そうだと思います。
 次はもっと驚かせたいというような気持ちもありますし。

――新海さんのイマジネーションの源はどこから来ているんですか。

 最近だと日本の昔話とか万葉集、古今和歌集、神話といった作品を読むことが多いですね。
 日本昔話はいいですよ。
 一個一個の物語は短いし、100個くらい読むとパターンが見事に分かれているんです。
 物語の普遍的な形のようなものがそこにある。
 勧善懲悪ものとか、恩返し系とか、動物と結婚する話とか、ものの由来の話とか。
 それぞれが面白いんですよ。
 今回の映画も小野小町の和歌や「とりかへばや物語」がモチーフになったわけですし、本当にいろいろなヒントに満ちているなと思います。



現代ビジネス 2016.09.16 中川 右介 編集者・評論家
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49712

   日本映画史のなかの新海誠『君の名は。』と1954年の『君の名は』
「運命の人」をめぐる物語

 『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、樋口真嗣監督)が大ヒットし、興行収入70億円を突破する勢いだというが、それを抜きそうな勢いでアニメ『君の名は。』(新海誠監督)もヒットし、こちらは100億円が見えてきていると報じられている。

 その昔、アニメと特撮は一部のマニアが見るものと白眼視されていたのを体験している世代としては、夢のような時代だ。
 映画史をひもとくと、「ゴジラ」と「君の名は」の文字がタイトルに入る映画が興行ランキング上位にあった年が、他にもある。

■62年前も『ゴジラ』と『君の名は』が大ヒット

 最初の『ゴジラ』(本多猪四郎監督)が公開されたのは1954年11月で、その年の4月に、松竹映画『君の名は』(大庭秀雄監督、菊田一夫原作)も公開され、大ヒットしているのだ。
 1954年の『ゴジラ』対『君の名は』の観客動員対決では、『君の名は』が圧勝だ。

 『君の名は』はNHKラジオで1952年から54年まで放送され、大ヒットしたドラマの映画化だ。
 岸惠子と佐田啓二が主演し、1953年9月に第一部、12月に第二部が公開され、54年のゴールデンウィークに公開されたのは第三部にあたる。
 『君の名は』は松竹映画で、東宝が同時期に封切ったのが黒澤明の『七人の侍』だった。つまりは日本映画黄金時代のまっただ中にあたる。

 その黄金時代、黒澤明や小津安二郎、木下恵介、溝口健二、成瀬巳喜男らの映画史に残る名作よりもヒットしたのが、メロドラマの中のメロドラマ『君の名は』三部作だった。
 1953年の興行ランキング1位が『君の名は』「第二部」で3億0002万円、2位が「第一部」で2億5047万円、54年の1位が「第三部」で3億3015万円である。
 続編の観客動員は前作より減ることが多いが、『君の名は』はその逆で増えている。
 同時期の東宝の『七人の侍』は2億9064万円で3位と、金額ではかなり差が付けられている。
 対する『ゴジラ』は54年の8位で1億5214万円だ。

 2016年も、『君の名は。』が『シン・ゴジラ』を抜くだろうと言われており、大怪獣を退治する話よりもラブストーリーのほうがヒットするのは今も昔も同じなのだ。
 『シン・ゴジラ』と『ゴジラ』は一応のつながりがあるが、『君の名は。』と『君の名は』にはタイトルが似ているだけで、何のつながりもない。
 ストーリーが「男女がなかなか会えない話」という点での共通点はあるが、そんな話は他にもいくらでもあるから共通点とは言えない。
 菊田一夫作『君の名は』はその後も何度かテレビドラマになっているが、最後が1991年でNHKの朝ドラだった。
 どうでもいいが、この年も広島東洋カープが優勝した年で、カープが優勝した年も『君の名は』とは縁がある。
 いずれにしても、『君の名は。』の観客の多くは、1954年の岸惠子の映画も91年の朝ドラも知らないだろうから、リメイクだと勘違いする人も、まずいないだろう。
 『君の名は。』を見に行った若いカップルにとって、この古風なタイトルは、かえって新鮮に映ったに違いない。

■「小さな物語」か「大きな物語」か

 フィクションの分類のひとつとして「大きな物語」と「小さな物語」がある。
 前者は天下国家という大きなものを描く作品群をいう。
 戦争や革命そのものを描くものや司馬遼太郎の歴史小説などが、最も分かりやすい「大きな物語」だ。
 『シン・ゴジラ』はこれに分類できる。

 「小さな物語」は、個人の人生・生活を描く物語だ。
 若い男女の恋愛や、友情や、親子の葛藤、あるいはそれらを原因とする殺人事件などが描かれる。
 数では、こちらのほうが圧倒的に多いだろろう。
 なかには、『戦争と平和』や『風と共に去りぬ』のように、大きな物語のなかでの小さな物語を描いたものもある。
 菊田一夫の『君の名は』も、戦争と戦後という「大きな物語」を背景にしているので、『風と共に去りぬ』系のように見えなくもないが、あくまで男女のすれ違いを描くメロドラマなので、「小さな物語」だ。

 新海誠の『君の名は。』はどうか。
 最初は「小さな物語」として始まるが、やがて「大きな物語」になりかけて、結局は「小さな物語」として終わる。
 かなり複雑な構造を持つ。

■菊田一夫版『君の名は』とは

 菊田一夫の『君の名は』は、戦争末期に物語が始まる。
 1945年(昭和20年)5月24日の東京大空襲(3月10日が有名だが、東京への空襲は何度もある)のさなかに出会った氏家真知子と後宮春樹は、助け合いながら銀座の数寄屋橋(いまの銀座四丁目の交差点のあたりにあった)まで逃げて朝を迎える。
 この空襲の特撮シーンはゴジラ顔負けの迫力だ。
 そして、二人は「生きていたら半年後(11月24日)にまたここで会いましょう」と言って別れる。
 その時、「君の名は」ときいたのだが、空襲警報が鳴ったので、名前は半年後に、ということで別々の方向へ行く。
 名前すら分からないまま別れた二人が、戦後、会おうとしてもなかなか出会えないという話だ。

 この話は1940年に作られた、ロンドンを舞台にしたアメリカ映画『哀愁(WATERLOO BRIDGE)』が原型だ。
 『哀愁』ではウォータールー橋で出会った男女(ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーという当時最高の美男美女が演じた)の話が、『君の名は』では数寄屋橋で出会った男女(映画では佐田啓二と岸惠子)の話になる。
 いまでは「パクリ」だと批判されるが、外国映画の物語の基本設定を無許可(原作料を払わずに)で日本に移して作られた映画は多い。

*】次ページ以降、『君の名は。』のストーリーにある程度ふれますので、これから観ようとしていて、ストーリーを知りたくない方はご注意ください。

■『転校生』+『時をかける少女』かと思いきや

 新海版『君の名は。』は、とりあえず菊田版『君の名は』とは似ても似つかぬ物語として始まる。
 画面の構図も、『君の名は』よりもむしろ、小津安二郎的だ。

 まずは、少年と少女が入れ替わる話だ――と書けば、すぐに大林宣彦監督作品『転校生』を思い出す方も多いだろう。
 私も、映画が始まってしばらくは、「また、転校生か」と思ったが、すぐに違うことが分かる。
 もともと「男女の身体と心とが入れ替わる」物語も、何も『転校生』(とその原作の山中恒作『おれがあいつであいつがおれで』)がオリジナルではないので、誰が作ってもいい。
 逆に言えば、この魅力的な設定でどういう物語を作るかが物語作家としての腕のみせどころだ。
 大林の『転校生』では、入れ替わった二人は同じ町に住み、互いに知り合いで、一緒にいる。
 当然、相手の名前も知っているので「君の名は」というセリフはありえない。

 『君の名は。』では、少年・立花瀧は東京の都心に住む高校生で、少女・宮水三葉は飛騨の山奥の田舎町に住む高校生だ。互いにまったく知らない。
 二人が同じ場所にいることもない。
 二人は眠っている間に入れ替わる。
 だから、まず相手の名前を問うとこから始まる。
 そして入れ替わっている間のことは記憶にないので、それをスマホに日記として書き、相手に伝える。
 このあたりは現代的だ。

 入れ替わることで、「同時代」に生きていながらも、田舎と都心とでは「高校生活」がまるで違うことが描かれ、それはそれで面白い。
 やがてラブコメめいた展開になり、そのままラブコメとして進んでも充分に楽しめそうなのだが、話は突然、巨大災害SFと歴史改変SFへと飛躍する。
 二人は入れ替わっていただけでなく、タイムワープもしていたのだ。

 となると、当然、大林映画ファンとしては、「なんだ、『転校生』かと思ったら『時をかける少女』なのか」と思ってしまうわけだが、そう単純でもない。
 それまでのラブコメは、「天体災害という大きな物語のなかの一部」だったという展開になるのだ。

■「3.11後」の空気感

 『君の名は。』もまた『シン・ゴジラ』同様に、3.11以後の精神というか空気が反映されている映画だと指摘されている。
 巨大災害という点では『君の名は。』も3.11と関係がありそうだが、巨大災害を描くことはこの映画では目的とされていない。
 その点では『シン・ゴジラ』とは出発点が違う。
 では、菊田版『君の名は』が戦争を背景にしたように、新海版『君の名は。』での巨大災害はラブストーリーの背景に過ぎないのかというと、そうでもない。
 『君の名は』では、東京大空襲も戦後の混乱もあくまで時代背景であり、それによって主人公は翻弄されるが、だからといって、主人公たちは空襲を止めようとするのでもないし、戦後の混乱そのものをどうにかしようと立ち上がるわけではない。
 自分のことしか考えていない。
 時代というか社会に対しては、完全な受け身である。
 戦争すらも「仕方のないもの」と受け入れて生きている人々の物語だ。

 東京大空襲は現実にあった出来事なので、その歴史を改変する物語を作るとしたら、SFにするしかない。
 しかし、菊田一夫はSF作家ではなく、メロドラマ作家である。
 戦争すらもメロドラマの道具にしてしまうところに、菊田の無意識レベルの思想性があり、『君の名は』は「思想なき反戦映画」として成り立っていた。
 「戦争は大変だった、あんなことはもうたくさんだ」と、1954年の観客は思ったのだ。

 しかし2016年の観客には戦争の記憶などない。
 あるとしたら、3.11の記憶だ。
 だから、新海版『君の名は。』での巨大災害は、表層的には3.11を想起させる。
 だが、3.11が防ぎようのない天災であったのに対し、この映画での巨大災害は、そのものは防げないが被害を最小限に食い止めることはできるという設定になる。
 菊田一夫は、空襲をそのまま受け入れて悲劇を構築していくが、新海誠は天災をどうにかしようとする少年少女の「歴史改変」物語へと走っていく。

 現実の3.11では、地震で揺れているビルに始まり、大津波、爆発する原発、避難所の人々……と、ありとあらゆる、おびただしい数の映像が流れた。
 『シン・ゴジラ』は明らかにそれを意識した映像が多くあったが、『君の名は。』でも、高校の校庭に避難している人々を空から見下ろしたシーンでは、3.11の映像を想起させた。
 「避難している人々」は悲劇の人々ではあるが、地震や津波で死ななかった、幸運な人々でもある。
 『君の名は。』は本来ならば死んでしまった人々を、せめて「校庭に避難している人々」にさせたいという、そういう願いの映画とも解釈できる。
 と思わせておいて、さらに物語は逆転する。
 社会派になりかけて、ならないのだ。

 「大きな物語」は「小さな物語」をより強めるためのテコのような役割として出てくるだけだった。

■最後に残るのはタイトル

 『君の名は。』の作者・新海誠は、デビュー作『ほしのこえ』からSFを作ってきたが、『秒速5センチメートル』からはSFではないメロドラマも作るようになっていた。
 つまり、両方、作れる人だ。
 『君の名は。』は途中から「大災害後」と「大災害前」とが交錯していく物語となり、少年少女の日常レベルの話は「大きな物語」へと向かいかける。
 これを捉えて、やはり「3.11後」を描いていると言えなくもないが、そういう方向へは物語は進まない。
 歴史を変えるという英雄的な大偉業を成し遂げた少年と少女は、その記憶すら喪ってしまうのだ。
 「時をかける少年少女」は時をかけていた時の記憶を喪う。
 これが日本SFのルールのようだ。

 かくして「大きな物語」の中心にいたはずの少年と少女は消滅し、自分探しの「小さな物語」のなかにいる若い男女として再登場する。
 まるで、毎年春休みの劇場版『ドラえもん』で、地球を救う規模の闘いで大活躍をした後に普通の小学生に戻った野比のび太と源静香のようだ。

 では、『君の名は。』で最後に残されたものは何なのか。
 それは、「運命の人」には必ず出会えるという物語だ。
 それを描くために、「運命の人」とは何なのかと逆算して、タイムワープや歴史改変や天体災害や男女の入れ替わりの物語が必要とされたのだ。
 『君の名は』が戦争と戦後の混乱を背景として必要としたように。

 最後の最後になって『君の名は。』は、外見はまったく違うのだが、『君の名は』と同じ構造の物語になる。
 それはつまり、日本のエンタメの世界には無意識のうちに「『君の名は』系物語」というジャンルが確立されていることを表している。
 この物語のタイトルとして最初に新海誠が考えていたのは「夢と知りせば」だったという。
 その後「きみはこの世界の、半分」「かたわれ時の恋」などの案も出て、「君の名は。」もそのひとつだった。
 しかし新海としては「有名な先行作品もあったので、きめられずにいた」そうだが、プロデューサーから『君の名は。』でいいと言われ、そう決まったという。
 (「公式ビジュアルガイド」収録のインタビューより)

 タイトル=名前というのは恐ろしいもので、たとえ作品が完成してから改めて付けられたものであっても、物語はタイトルに縛られ、当初の想定から変質することがある。
 『君の名は。』は、「。」が付いて、1954年の『君の名は』とは違うとアピールしているのだが、物語構造として、2016年版『君の名は』であることから逃れられない。
 あるいは、あえて逃れようとしなかったのかもしれない。
 それに、『君の名は』と同じ物語になったとしても、別に悪いことではない。

 逃れられないからなのか、東京のシーンでは、数寄屋橋に代わる「橋」として、信濃町駅前の歩道橋や四谷駅の陸橋が何度も出てくる。
 「君の名は」の物語には、「橋」が必要なのだ。

 タイトル=名前とは不思議な力を持つものだ。
 だから、タイトルは大事だ。
 そんなことも、改めて思う映画だった。


ダイヤモンドオンライン 2016年9月22日  週刊ダイヤモンド編集部
http://diamond.jp/articles/-/102660

『君の名は。』大ヒットの理由を新海誠監督が自ら読み解く
新海誠・映画『君の名は。』監督インタビュー

新海誠監督の長編アニメーション映画『君の名は。』の勢いが止まらない。
8月26日の公開から3週間あまりで観客動員が約700万人、興行収入は91億円を超え、100億円の大台突破も確実視されている。
 原作小説は100万部を突破し、ロックバンドRADWINPSの主題歌も音楽チャートを席巻。
スタジオジブリ作品とディズニー作品の2強であった長編アニメ映画業界に新風を吹き込んでいる。
新海誠監督に、映画大ヒットの要因について話を聞いた。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 小島健志)

■発想のヒントを得るために私の場合、古典を読む


●しんかい・まこと
1973年生まれ、長野県出身。
2002年、個人で作成した短編作品『ほしのこえ』でデビュー。
以降、『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』を発表。
2013年公開の『言の葉の庭』では、ドイツのシュトゥットガルト国際アニメーション映画祭長編アニメーション部門でグランプリ受賞するなど、海外の評価も高い。Photo by Aiko Suzuki

──興行収入100億円の突破が目前の大ヒットとなっています。今の状況をどう受け止めていますか。

 少し困ったことになったな、と思っています。
 なぜなら、今回の作品がヒットしているのは「たまたまだ」という感覚が強いからです。
 若い人たちが求めている巨大な需要のような穴があって、そこにこの作品が良いタイミングでうまく入り込んだ。
 本当に幸運が重なった結果だと思うのです。

 いつも同じ形の穴が開いているわけではないし、いつも求められているタイミングで作品を出せるわけでもありません。
 作り手としての技術や実力が急に上がるわけでもないのです。

──さっそく、次回作への期待の声も上がっています。

 もちろん、次回作には挑みたいと思いますし、なるべくたくさんの人に届く作品を作りたいのですが、毎回、同じように期待されたらどうすればいいのかと思っています。
 実際、急にいろいろな人からの声が届くようになりましたが、うまく消化しきれておりませんし、あまりいろいろなものを見ないようにしているほどです。

──そもそも、新海監督の物語のアイデアはどこから生まれるのでしょうか。

 アイデアの源は、自分自身の中にあるものだと思います。
 自分が興味あることとか、謎として残っていることとか、それがおそらく中心にあります。

 端的に言えば、人と人とのコミュニケーションの問題です。
 「どうして人と人というのは、気持ちを通わすことができるのだろうか」、あるいは「気持ちを通わすことができないのだろうか」と。
 関係が断然されてしまったのに奇跡的につながるシチュエーションがある一方で、それがつながらないままのこともある。

 そうした謎のようなものが以前から気にかかっており、テーマとしてずっと扱ってきました。
 作品の本質は変わりませんが、それをどういう語り口で描くのかは、作品ごとに変化しています。
 私の場合、発想のヒントを得るために古典を読むこともあります。

■「夢と知りせば」という和歌がインスピレーションの原点

──今回の作品は、男女が入れ替わる古典「とりかへばや物語」や、「夢と知りせば」と詠んだ小野小町の和歌から着想を得たと伺います。新海監督は中央大学文学部出身で、自宅にもこうした古典作品が多くあるようですが、古典の影響を大きく受けているのでしょうか。

 今回の作品は、本質の部分で言えば、出会えないはずの二人の出会いを描いているものです。
 男女が入れ替わることで物語は始まるのですが、入れ替わりは出会うための仕掛けであって、本当は別のものでも良かった。
 ただ、分かりやすいキャッチーな入り口を用意したかったのでこうしました。
 男女の入れ替えによって必然的に生じるコミカルな部分もありますからね。

 自宅にあるのは、現代語訳された万葉集や古事記などいくつかの古典作品であって、本がずらりと並んでいるわけではありません。
 6歳の子どもがいることもあって、一番めくるのは「日本昔話」ですね。
 このシリーズは一つひとつの話が短くてコンパクトにまとまっていますが、主要なものだけで数百の話があります。

 実はそれらを読んでいくと、カテゴリーというものがはっきり見えてくるのですよ。
 例えば、「貴種流離譚」という物語の類型の一つです。
 これは尊い血筋を持つ子どもが幼い頃にどこかに流されて冒険して試練を克服するもの。現代で言えば「スター・ウォーズ」がそうですよね。

 他にも「鶴の恩返し」のように、人が人ではないものと結婚する物語「異類婚姻譚」というものもあります。
 「おむすびころりん」のように地下世界を思い起こさせる物語も、世界各地に共通して残っている話です。

 こうした物語のルーツを知ると、「なるほど、物語ってパターンなのだ」と。
 人の共感するところは昔からあまり変わらないものだと気がつきました。
 過去作品の中には、こうした昔話の構造をヒントにするものもあります。

  『君の名は。』は、昔話の構造ではなく「夢と知りせば」という和歌がインスピレーションを与えてくれました。
 夢から覚めてなぜかさみしいという感情は、小野小町のいた平安時代から、いやそれ以前から今にいたるまで人の持つ共通の感覚だろうと思ったのです。

 そこで、「朝、目が覚めると、なぜか泣いている」と物語を始めることで、観客にも「それは分かる」という気持ちになってもらえるのではないかと考えました。

──運命の人との恋物語に古典の要素を加えたということですね。『君の名は。』は、時代の空気感をうまくとらえていたこともヒットにつながったように感じます。キーワードを三つ挙げるとすれば、一つ目に東日本大震災を思い起こさせる「自然災害」があると思います。

 自然災害については、意図して取り入れたというわけではありません。
 むしろ、必然的に出て来たという方が正しい感覚です。
 2011年の東日本大震災をモチーフにしたわけではないのですが、
 それ以来、日本社会はきっと変わったのでしょうし、
 私たちの考え方も変わったのだと思います。

  「明日は我が身になるかもしれない」。
 少なくとも私はあの日以来ずっとその気持ちを持ち続けています。
 意識しているのか、意識していないのかの違いはあっても、多くの人にそういう気持ちが根底にあるのだと思います。

 それが映画のベースになっているので、一つのモチーフとして自然に生まれてきたのです。
 取り立てて災害を中心に語ろうと思ったわけではなくて、すっと入ってきたというわけです。

■2016年のスマホ、SNSを登場させたかった

──二つ目ですが、作品には「スマートフォン」が頻繁に登場し、LINEといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)も重要な役割を担います。これらも2011年以降、日本の社会構造に変革を起こしました。

 スマホも災害の話に近い感覚ですね。
 2016年に公開が決まっていたので、2016年のスマホにしたいと思いました。
 そう考えると、LINEでやりとりをするのが日常になっているだろうと。
 私たちが普段使っているSNSと同じようなものを登場人物も使っているように設定しました。

 それも、自分と地続きの世界を見てほしい、映画の登場人物を我がこととして見てほしかったからです。
 そのためにはスマホの使用が必然だったというのが、シンプルな理由ですね。

──三つ目のキーワードが「男女の境界」です。作品は男女の入れ替わりを描いており、「女子力」と言った言葉も出てきます。2015年に東京・渋谷区で同性婚が事実上認められ、LGBT(性的少数者)もここ数年、企業が積極的に受け入れるなど、社会における男女の境界が曖昧になりつつあります。

 LGBTに関してのご指摘は初めて受けましたが、そのような意識はしていません。
 男女の入れ替わりは、あくまでも物語の仕掛けに使おうとしていたものです。
 逆にジェンダー(社会的な性差)はテーマにしないでおこうと決めていました。

 なぜなら、性差をテーマにしてもあまり意味がないと思ったからです。
 男女の入れ替えは、昔の映画作品から連綿と続くテーマの一つです。
 例えば、大林宣彦監督の映画『転校生』があります。
 作品では、男の子が男の子らしくなくなってしまい、女の子が女の子らしくなくなってしまう、そんなおかしみを描いています。

 もちろん、社会の同調圧力なり、社会から男女に期待される役割というものは、今もなお厳然と残っています。
 だからといって、2016年に男女の性差や社会的に期待される役割を果たせない面白さを描いても仕方がないと感じていました。

 むしろ、女の子っぽい男の子の何が悪いのか。
 男の子っぽい女の子の方が魅力的ではないか。
 今はそんな感覚が強いのではないでしょうか。
 そのため、今回の作品では、男女が入れ替わることで、お互いが魅力的になり、入れ替わる前よりもちょっとモテたりするシーンも入っています。

■日本のアニメーションはシンプルに作ると貧弱になる

──映像について伺います。新海監督作品は美しい映像作品として高い評価を得ています。今回の作品では、星がまたたいていたり、ビルの航空障害灯が点滅していたり、タバコの煙がたっていたりと背景にも動きがあります。黒澤明監督の実写映画では、人の動いていないシーンも、風や雨、炎や光などで映像に動きを与えているという話もありますが、何か意識していたのでしょうか。

 黒澤映画を意識したわけではありませんが、アニメーションは、シンプルに作るととても貧弱な映像になってしまいます。
 良くも悪くもと言いますか、日本の観客は日本のアニメーションに対して優しい、そういうものだと受け入れています。
 ただ、国内外の動画配信作品がこれだけ世の中に出回り、リッチな映像があふれている中において、私は日本のアニメーションの貧弱さのようなものが気になっていました。

 そのため、スタッフと「なるべく手をかけて、リッチな画面にしていきたいね」という話を常にしてきました。
 多くの制作費を投じて作るハリウッド映画やアメリカのドラマに比べると、日本のアニメーション制作には限られている部分がある。
 それでも「同じ1800円を払って見てもらう映画なのだ」と。
 ハリウッド映画にはないものをどう用意して持ち帰ってもらえるか
を常に考え続けてきました。

 とはいえ、私たちも映像制作の期間が1年間しかありませんでした。
 限られた期間で、限られたスタッフでできることは限られている。
 だからといって、映像表現のリッチさを追求しないと、日本のアニメーションは貧弱なままで、そのまま時が止まってしまうのではないか。

 そこで、多少なりともプラスの動きの要素を入れたくて、例えば、星のまたたきや水のきらめきなど、特に自然表現における光の変化を意識して取り入れました。これには、アニメーターの労力を使わずとも、デジタル関連部署の力で表現できるという面もありました。

■見終わった直後にもう一度見たくなる映画に

──直近1週間のTwitterで「君の名は」とつぶやいた3万のツイートを分析すると、「2回目、見に行ってくる」というように、「~回目」といったつぶやきが多く見受けられました。他にも、映画の舞台となった場所へ実際に行ってSNSに投稿し、友達に自慢する「聖地巡礼」といった言葉も上位に来ました。映画を見た人が作品に共感し口コミで拡散してさらに観客が増えるという循環がありますね。SNS時代にヒットした作品のようにも感じます。

 考えていたのは、往年の映画好きの方々に見てもらって満足してもらうような、形の良さや完成度の高さを目指すよりも、10代、20代の若い観客に向かって、フレッシュに見えるものにしたいということでした。

 10、20代の人が「こんなアニメーションは初めて見た」とか、「こんなに面白い映画を初めて見た」とか、そう響くものにしたいと。
 結果として、口コミとして広がっていったのかもしれませんが、最初からSNSで拡散させようといったことは一切考えていません。

 ただ、「一度見終わった直後にもう一度見たくなる」、つまり複数回鑑賞してもらえるような作品を目指していました。
 特に若い子たちに響くためには「過剰なもの」にしようと。
 詰め込み気味の映画にするということですね。

 一度見ただけで観客が消化しきれない映画を作ることはそこまで難しくはありません。
 ただし、情報が多すぎて難解となり「映画が分からなかった」では、元も子もありません。
 一度で「あー、面白かった」と十分に満足してもらえるものに絶対しなければならなかった。
 その上で、もう一度、主人公の瀧や三葉の声を聞きたいとか、RADWINPSの音楽を聴きたいとか、そう思ってもらえるようにしたつもりです。

 また、若い人に届けるために、映画の鑑賞時間を1分でも短くしようと工夫しました。
 最初の脚本の段階では合計116分あったのですが、それを大幅に削って、107分にまで縮めました。
 それも、今の若い人にとって娯楽とは映画だけはないですし、映画館にいる時間は1分でも短い方がいいと感じていたからです。

──映画館にいる時間は短い方がいいと。

 ええ。自分自身が映画を見に行ったときも、
 2時間を超える作品だと、おっくうだと感じてしまいます。
 もし、同じ満足が得られるならば、短い方がいいのです。
 短い時間の中に、ぎゅうぎゅうにこぼれ落ちる寸前ぐらいまでいろいろなものをたっぷり詰め込む。
 そこで「俺はこれが響いた」「私はこれが響いた」などと、それぞれが感じたものを持って帰れるようにする。
 そうしたフックをたくさん詰め込んだものにしたのです。

 若い観客の多くは、まだ自分の好みが定まっていません。
 何が好きなのか分かっていないからこそ、その材料を提供するような作品にしたいと思いました。
 楽しみ方はそれぞれでいい。
 音楽に感動してくれた人がバンドを始めたり、背景に感動してくれた人が画を描き始めてくれたり、そんなことにつながると本当に嬉しいですね。
 その一つに「聖地巡礼」みたいなものがあると思うのです。

──主題歌が4曲も入っていたことには、そういう理由があったのですね。

 ええ。
 「面白くても散らかっていない」と言いますか、面白いのが大前提で「詰め込み気味だけど、形は整えられていてその中に収まっている」というイメージです。
 そのため、映画の見方がある程度定まっている人や、好みが定まっている年配の方にとっては「少し違う」と苦言を呈されてもおかしくはありません。

■今の映画に生きているゲームのパッケージを作る仕事

──「違い」という点で言えば、もともと、新海監督は、宮崎駿監督や庵野秀明監督のようなアニメーター出身ではありません。大学卒業後にゲーム会社に就職してキャリアを始めましたが、当時の経験は生きているのでしょうか。

 ええ、それはもちろんです。
 日本ファルコムというゲーム会社に5年ほどおり、当時社長であった加藤さん(正幸会長)直轄のチームで働いていました。
 パソコンゲーム黎明期、8ビットゲームの伝説的な人ですが、そんな方に泣く寸前まで叱られたりしていました(笑)。

 そこで強烈に学んだのは、
 「君たちは物を作りたくて入ってきたかもしれないが、ゲームは1本8000円なり1万円なりする商品であり、それを顧客に買っていただいているのだ」
という教えです。

 私はゲームのパッケージを作る仕事をしていました。
 「何がこのゲームで斬新なのか」を考えて、キャッチコピーを書いたり、パッケージに使用するための画像を選んだりしていました。
 それには、ゲームを分かっていなければならないため、何度も何度もゲームをプレイしました。
 と、同時にパッケージのビジュアルも担当し、店頭用のオープニングデモ映像も作っていました。

 デモ映像は1、2分という短い中で、ネタバレはせずに、その作品の魅力を詰め込まなければなりません。
 しかも、フレッシュに見せなければならないし、面白く見せるために、ある種のウソをつかなければならない。
 映画の予告編のようなものですね。

 これは貴重な体験でした。
 自己満足なゲームであってもいけないし、単に面白いゲームを作ればいいわけではない。
 何が面白いのかを言語化し、商品をパッケージとして見せ、映像で伝え、ゲームの魅力を伝える。
 そうしなければ買ってもらえない。
 こうしたことを徹底的にたたき込まれました。

 本当はゲーム開発の部署に行きたかったのですが、開発には回してもらえず、その仕事をずっとやっていました。

──クリエイターの感覚を持ちながらも、顧客の立場で仕事をしていたのですね。

 そうかもしれません。
 忘れられないのは、入社して数年の駆け出しの頃、ゲームのクオリティチェックの仕事を任されたときのことです。
 開発中のゲームをプレイして、良いところと悪い部分を会社に伝えるのですが、そこで一度、大きな失敗をしてしまいました。

 ゲームの優れたところ、改善すべきところを「上から目線」で、何も考えずに言葉にしてしまいました。
 それを受け、会社からは開発チームに修正の命令が出るのですが、それがチームの反発につながり「恨む」とまで言われてしまったのです。

 自分が同じようにものづくりをする立場になると分かりますが、一枚の画を描くのにしたって、ものすごく複雑な過程をたどってできるわけですね。
 文章で言えば、何度も何度も推敲したような状態でようやく人に見せるわけです。

 そのため、現場には、現場のプライドと理屈がある。
 全身全霊で作っているのに、「ちょっと面白くないですね」といった言い方がいかに相手を傷つけるのかを理解しました。
 もし同じことを言うにしても、作り手に伝えるときは、むき出しの言葉で表現してはいけない、それがいかに暴力的な行為なのかを強烈に学んだ体験でした。

■監督のフェチが入らなければなかなかうまくいかない

──新海監督を「人の話を良く聞く方だ」と評するプロデューサーの方もいますが、そういった会社員時代があったのですね。今回は、東宝と組んで脚本会議を行ったこともヒットの要因のようですが、そこはどうお感じですか。

 今回の作品においては、脚本の「開発」を徹底的にやりました。
 脚本会議では、東宝の川村元気プロデューサーやスタッフに脚本を読み込んでもらい、意見を出してもらいました。
 毎回、初めて映画を見た人の視点で、観客の気持ちがどう流れていくかを徹底的に考え尽くす。
 チームで顧客の気持ちをシミュレートし続けるという作業だったと思います。

 とはいえ、スタッフの意見も一人一人違いますから、最終的には平均値みたいなものを出さないといけない。
 ときには「これがいいと思う人?」と多数決で決めることもありました。

 ただ、川村さんは「最後は監督のやりたいことをやらないとだめだ」と言ってくれました。
 票が割れたときは、監督の私に全て引き寄せる。
 それも、監督の好みやフェチが入らなければなかなかうまくいかないからだということでした。
 一人の人間の感性で、1本の背骨みたいなものを作品に差し込む。
 そのため、最終的には自分がやりたいこと、自分の好みの方向に全部引き寄せました。

 つまり、チームで一度徹底して観客になって、最後は全部自分の好みに引き寄せる、そのような作り方をしていきました。

──それを示すような何か特徴的なシーンはありますか。

 三葉がお米をかんで自身の唾液とまぜて、升に入れて自然発酵させる「口噛み酒」はその一つです。
 他にも、例えば、瀧が年上の女性である奥寺先輩と一緒に三葉を探しに行くところですね。
 これらは、単に私の好みなわけですよ(笑)。

 ただ、無造作にやると不快なものになりかねない。
 瀧は、三葉という別の女の子のことを見ているのに、なぜか奥寺先輩という他の女性が付いてくる。
 下手をすると無神経な展開になりかねませんので、そう思わせないための「回路」をきちんと作る。
 その点、脚本会議で「これは無神経ですよ」とか「気持ち悪いです」とかダイレクトに伝えてもらったことで、だいぶ助かりましたね。

──作家は、自分の作品にどこか自分を映した人を登場させるとも伺います。今回、奥寺先輩の登場シーンをざっと計測するとおよそ17分、全体の15%程度でしたが、その割に存在感が強い印象です。高校生の恋愛を大人が冷めずに見られたのも、奥寺先輩の存在があるかもしれません。新海監督がやはり入っているのでしょうか。

 入っているのでしょうね(笑)。
 最初から最後まで少年少女の物語にしなければ、とずっと制作してきましたが、どうしても作り手は、何か自分を重ねられる人物を入れたくなってしまいますよね。
 宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』だと、宮崎監督が「ユパ様」なのでしょうが、奥寺先輩にもそういうところがあるのかもしれません。

──ツイッター分析では、声をあてた「長澤まさみ」さんよりも「奥寺先輩」の方が頻出します。

 そうなのですか(笑)。
 それは嬉しいですね。

──お忙しい中、ありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございました。



シネマトゥデイ 9月23日(金)14時54分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160923-00000013-flix-movi

『君の名は。』
興収100億円突破!
ジブリ以外の国内産アニメで初

 現在公開中の新海誠監督によるアニメーション映画『君の名は。』が、
 公開から28日間で観客動員数774万1,214人、興行収入100億7,899万9,000円を記録
したことが明らかになった。
 国内産アニメが興収100億円を突破するのは、宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』(2013年公開)以来3年ぶり、ジブリ作品以外では初となる。

 国内興収100億円超えを、1か月もたたないハイスピードで達成したことは、最近の作品としてはかなり異例のこと。
 『風立ちぬ』が54日間、
 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年日本公開)が45日間、
 最終興行成績254億円超のモンスターヒット作『アナと雪の女王』(2014年日本公開)でさえも公開から37日間
を要したことを考えると、今回の28日間という記録は、まさに驚くべき数字であることがわかる。

 もちろん2016年公開作品の動員数・興収1位の座も、『君の名は。』が獲得している(洋画・邦画含む2016年1月1日以降公開作品が対象、興行通信社調べ)。

 『君の名は。』は、『言の葉の庭』などの新海監督が脚本から手掛けた最新作。田舎町に暮らす少女・三葉と東京に住む少年・瀧が、奇妙な夢を通じて惹かれあっていく姿を追う。
 神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみらが声優として参加しているほか、本編に関連する場所をファンが訪問する“聖地巡礼”なども話題になっている。
 また第21回釜山国際映画祭(ガラ・プレゼンテーション部門)に出品するなど海外展開にも意欲的で、現在89の国と地域での配給も決定している。



Record china配信日時:2016年9月24日(土) 22時40分
http://www.recordchina.co.jp/a151163.html

日本で興行収入100億円突破!
映画「君の名は。」が中国でも話題
=上映に期待かかるもネックはやはり“あの問題

 2016年9月24日、日本で大ヒットとなっているアニメ映画「君の名は。」が、中国でも大きな注目を集めている。

 新海誠氏が監督を務めるこの映画は、男女の高校生の身体が入れ替わってしまうというストーリー。
 公開から10日間の興行収入が38億円を記録し注目を集めると、公開28日で100億円を突破した。
 スタジオジブリ以外の作品が100億円を超えるのは初めてのことだという。

 中国では日本アニメが大人気で、昨年には日本映画として3年ぶりの中国上映となった映画「STAND BY ME ドラえもん」が大ヒットを記録。
 今年も「ドラえもん 新・のび太の日本誕生」や「ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」が続々と公開されている。
 こうした流れを受け、中国ではこの作品の中国上映に期待の声が高まり、当初は消極的だった配給会社も動き出したと伝えられた。

 ところが、どうやらそううまくはいかないようだ。
 理由は例によって「海賊版」の存在。
 最近、中国のネット上に無料で視聴できる海賊版が出回り始め、中国上映の障害になっているとの指摘が出ている。
 事情に詳しい人物によると、作品に付けられている字幕は繁体字で、台湾や香港経由で入ってきたものだと推察できるという。
 中国には新海誠監督のファンも存在し、「海賊版反対」を呼びかける声も出ているというが果たして。

 なお、映画「君の名は。」は台湾では10月21日、香港では今冬の上映が決まっているが、中国本土では未定となっている。


ダイヤモンドオンライン  2016年9月30日 岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]


「君の名は。」大ヒットはスマホ的視聴習慣の影響か
岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授] 【第42回】著者・コラム紹介バックナンバー

 この夏に大ヒットした映画というと、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」が挙げられますが、この2つの映画は、作品の出来栄えの素晴らしさもさることながら、個人的には、それぞれが今の日本の大事な論点を示してくれているのではないかと思っています。

■「シン・ゴジラ」が示した日本の強み

 まず「シン・ゴジラ」が示しているのは日本の強みだと思います。
 本作の前、2014年にハリウッドがゴジラを映画化しましたが、その制作費は1.6億ドル(160億円)と言われています。
 それと比べると、「シン・ゴジラ」の制作費は15億円と10分の1以下です。
 それでも、この日本で大ヒットを記録したのみならず、世界の103の国と地域に配給されることが決まっており、米国でも10月に公開予定となっています。

 この映画の成功の要因としては、庵野監督の綿密な取材、東日本大震災や原発事故をメタファーとするなどのリアリティの徹底的な追求などが挙げられていますが、そもそもなぜこれだけ少ない制作費でハリウッドに負けない高いクオリティの映画を制作することができたのでしょうか。

 この点について映画関係者に話を聞いたところ、その理由は、庵野監督のオタク精神を全開としつつも、アニメ的な制作手法の導入など様々な創意工夫を積み重ねることで、制作費の少なさを補ったという点に尽きるようです。

そう、日本人の強みである、自分が好きなことを徹底的に極めようとするオタク精神と
 現場での創意工夫が組み合わさって制作の過程で全面的に発揮されたからこそ、
 制作費が10分の1以下といった不利な条件も克服して、ハリウッドに負けない作品を完成できたのです。

 そして、それは映画の世界に限定されないと思います。
 日本のレストランのクオリティの高さは世界で有名ですが、客単価の高いハイエンドなところもさることながら、客単価が5000円くらいで高いクオリティの食事を提供するレストランもたくさんあります。
 そういうところほど料理人がオタクで、限られた予算で入手できる食材で最高のものを提供しようと、料理を極めようとするオタク精神と現場の創意工夫を両立しているように思います。

 このように考えると、「シン・ゴジラ」の成功は、日本の強みであるオタク精神と現場の創意工夫の両方をバランス良く発揮させることがいかに重要かを物語っているのではないでしょうか。その教訓はあらゆるビジネスに当てはまると思います。

■「君の名は。」が示す日本の問題点

 その一方で、「君の名は。」の大ヒットが示しているのは、逆に多くの日本人が懸念しなければいけない点かもしれません。
  「君の名は。」は空前の大ヒットとなりました。
 既に興行収入は100億円を超えていますが、最終的には200億円を超えるだろうと言われています。
 新海監督が描く世界観や風景は本当に綺麗ですし、そこに元ジブリの人が描く主人公などの人物が加われば大ヒットも当然と思います。

 しかし、同時に、アニメ業界の大家の人たちにこの映画の感想を聞くと意外と厳しい評価が多いのも事実です。
 その中でも気になるのは、
 「あれは映画というより100分にわたる壮大なミュージック・クリップだ」
という評価でした。
 個人的には、この言葉が問題の本質を的確に突いているように思います。

 もともと映画には、観る人が作品に没入してじっくり集中して見て、自分なりにその映画から色んなことを考えるという、ある意味で読書に近い性質があると思います。
 これに対してミュージック・クリップは、集中して見て考えるというよりも、気楽に見て気持ち良く感じるという要素の方が大きいのではないでしょうか。

 もちろん、だからといって「君の名は。」を非難しているわけではありません。
 新海監督は非常に賢い人と聞いていますので、おそらく、今の時代に受けるのはミュージック・クリップと評価されるようなアプローチだと分かっていて、敢えてそれを実践したのではないかと思います。

 その前提で、おそらく私たちが一度考えないといけないのは、では
★.なぜ今は映画らしい映画よりもミュージック・クリップ的なアプローチの方が受けるのか
ということです。
 私は、スマホやネットの普及が大きく影響しているのではないかと思っています。

 詳しく書くとすごく長くなってしまうので、ごく簡単にポイントだけ書きますと、米国での様々な実験から、スマホやネットの使い過ぎは人間の脳に2つの変化をもたらすことがわかっています。

★.一つは、ネット上で大量に提供される情報を受け身で流し読みするのに慣れてしまう
ということです。

 電車の中では圧倒的に多くの人がスマホを見ていますが、それらの人は大抵、様々なウェブサイトや友人のSNSを、どんどん流し読みしています。

 これは、一見すると能動的に自分で情報を選んでいるように見えますが、実際は自分がブックマークしているウェブサイトやフォローしているSNSを順繰りに漫然と見ているだけ、多量の情報を受け身で流し読みしているだけです。
 スマホゲームも同じで、決められたルールに従って何も考えずに受け身で同じ動作を繰り返しているだけです。
 それを繰り返しているとどうなるでしょうか。
 人間の脳は非常に賢くて環境に順応するので、
 スマホやネットを使い過ぎると、情報を受け身で流し読みするのがもっとも快適になる
のです。

 ついでに言えば、それは情報の読み方に限定されず、行動全体も受け身になリます。
 例えば、20年前と比べて電車を降りる人の動作が遅くなったと思いませんか?
 20年前だったら、若い人でも自分が降りる駅が近づいたら降りる準備をして、ドアが開いたらすぐ降りる動作を始めていたので、電車の乗降はスムーズでした。
 でも今は、スマホをいじっていない人でも、電車のドアが開いて暫くしてから気がついて座席を立つというのが増えており、明らかに電車の乗降に時間がかかるようになっています。

★.もう一つの変化は、テキストの読み方が“浅い読み”ばかりになる
ということです。

 テキストの読み方には
“浅い読み”(テキストの表面だけを流し読みするので記憶に残らない読み方)と
◆.”深い読み”(テキストをじっくり読んで、それを自分の中にある知識や経験と結びつけて新しい知見を生み出す読み方)
の2種類があります。

 そして、スマホやパソコンでウェブサイトのテキストを読むときは、頻繁に画面をスクロールすることからも分かるように、たいてい“浅い読み”でざっと流し読みをしており、これを毎日長時間繰り返していると、“深い読み”ができなくなるのです。
 “深い読み”は集中力が必要で疲れるのに対して、“浅い読み”は気楽で快適ですから、それも当然です。

 なので、何か問題に直面して解決策を考える必要がある場合、じっくり考えて自分独自のクリエイティブなアイディアを考え出すことができず、ネットで検索して出てきたステレオタイプなものに頼る人が多くなっているのです。

 聞いたところ、ジブリの過去の大ヒットアニメは、子どもから高齢者まで幅広い層が見たのに対して、「君の名は。」の場合は10代から30代の層が何度も映画館に足を運んでいるそうです。
 この世代がもっともスマホを使っていることを考えると、「君の名は。」の大ヒットは、もしかしたら情報を受け身で流し読みするのに慣れ、またテキストの読み方が気楽で快適な“浅い読み”ばかりになったという世の中の変化を反映しているとも言えるのではないでしょうか。

 繰り返しになりますが、もちろん、だからといって「君の名は。」に因縁をつける気はまったくありません。
 むしろ、デビュー当時の新海監督を知る者として、デビュー作の「ほしのこえ」から15年かかって目標としていたジブリに並ぶところまで辿り着いたこと、その間まったくブレずに独自の世界観を貫き通した(「ほしのこえ」と「君の名は。」を比べればよく分かります)ことなど、心から賞賛すべき作品であると心底思っています。

 ただ、もし「君の名は。」の大ヒットの一因として、スマホやネットの使い過ぎで多くの人の思考や行動が受け身になり、また“浅い読み”ばかりになっているとしたら、この部分はかなり深刻に憂慮しなければなりません。
 なぜなら、今の日本経済の課題はもっとイノベーションを生み出して生産性を上げることですが、イノベーションの創出のためには、個々人がもっとクリエイティブになる必要があり、そのためにはもっと能動的に問題意識を持って様々な経験を積むなど、“深い読み”を通じて新たな知識を自分の知識・経験と融合させて新たな知見を生み出す、といった行為が不可欠だからです。

■この二作品は関心ないおじさん世代こそ見るべき

 以上グダグダと書いてきましたが、それでも
 「シン・ゴジラ」と「君の名は。」の両方が素晴らしい映画であることには間違いありません。
 おじさん世代にはまだご覧になっていない方も多いと思いますので、ぜひ両方とも見て、映画自体の素晴らしさを感じるとともに、そこから日本の論点を考えてみるのも面白いのではないでしょうか。




無料ホームシアター http://mhometheater.com/2016/09/anime/62353.html
君の名は。
http://kissanime.ru/Anime/Kimi-no-Na-wa/Movie-720p?id=134020


2016年8月17日水曜日

「一人之下」:中国国産アニメ、日本のテレビで放送され話題に

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サーチナニュース 2016-08-16 22:11
http://news.searchina.net/id/1616562?page=1

中国国産アニメ、日本のテレビで放送され話題に 
「逆襲」の第1歩だ=中国メディア

 8月12−14日、世界最大級の同人誌販売会「コミックマーケット90」(コミケ)が東京国際展示場で開かれた。
 日本のマンガ・アニメ文化、サブカルチャーを愛好する若者が多い中国のネット上でもコミケに関する情報が伝えられた。
 実際にコミケに足を運んだという中国の人も多いのではないだろうか。

 そんな中、中国生まれのアニメ作品が日本のテレビ局で放送され、注目を集めている。
 中国メディア・天津日報が13日に報じた。
 記事は、「一人之下」という中国産アニメが7月9日より日本のテレビ局で放送を開始したとし、日本のテレビ局で放送された中国アニメ第2号となったと紹介した。

 そして、中国のネット上で人気を集めたマンガを原作として作られたこのアニメ作品が
  「多くの中国伝統文化コンテンツを含んでおり、国外でも非常に人気を集めている」
と説明。
 マンガは韓国や欧州などの出版社と販売に関する交渉を行っているとする関係者の話を伝えた。

 また、作者である高安氏が日本アニメからの影響について言及したことを紹介。
 「日本アニメは創作に影響を与えた。しかしそれは画風においてだ」
とし、沙村広明、冨樫義博、岸本斉史の3氏を「最も影響を受けた人物」に挙げた一方で
 「ストーリーについては日本から何の影響も受けていない。
 日本のマンガは好きだが、日本の価値観に染まってはおらず、どちらかと言うとちょっと受け付けないところがある」
と語ったとしている。

 関係者によると、画風で日本の影響を多分に受けていながらも、その中身が本土文化に根付いたものであるからこそ同作品の持っている価値が高く、受け入れられる、とのことだ。

 記事はさらに、同作品の日本上陸についてネットユーザーからは「国産マンガ・アニメの逆襲」との声が出ていることを紹介したうえで、関係者が
 「それは時期尚早。ただ、逆襲に向けた第一歩を踏み出したということはできる」
と冷静に語ったことを紹介。
 「実際、日本の会社と接触した時に、彼らに高慢なところを感じた。
 ただ、作品が優秀であれば、彼らもきっと認めてくれることだろう」
としたことを伝えた。

 強い影響を受けている以上、画風に日本のマンガやアニメの面影が見えていても決して不自然なことではない。
 それを一概にパクリと言ってしまったら、新たなものが生まれる芽を摘み取ってしまうことになる。
 影響力を正面から認める潔さはむしろ好意的に受け取られるべきだろう。
 そのうえで、中国的な部分、作者個人のオリジナリティある部分をどんどん打ち出していってもらいたい。

 「逆襲」という言葉はいささか挑戦的であるが、日中のマンガ・アニメ業界が将来的に互いに刺激しあう良きライバルとなれば、双方にとって良い影響が生まれることだろう。



人民網日本語版配信日時:2016年8月19日(金) 13時40分
http://www.recordchina.co.jp/a147688.html

中国の「逆襲」始まる!
天津生まれのアニメが日本でも人気に―中国メディア


●中国のアニメ「一人之下 the outcast」は、中国のネットプラットホームで1カ月前に配信開始されるとほぼ同じ時期に、日本のTOKYO MXでも毎週土曜のゴールデンタイム午後9時から放送されるようになった。

 中国のアニメ「一人之下 the outcast」(ひとりのした ジ・アウトキャスト)は、中国のネットプラットホームで1カ月前に配信開始された。
  それととほぼ同じ時期に、日本のTOKYO MXでも毎週土曜のゴールデンタイム午後9時から放送されるようになった。
 これで、日本進出を果たした中国のアニメは、「霊剣山 星屑たちの宴(原題:從前有座霊剣山)」に続いて2作目となる。
 さらに「一人之下 the outcast」は、欧米の動画サイトでも注目を集めている。
 あまり知られてはいないものの、この大人気アニメは中国・天津で生まれた。

■中国国内外で大ヒットした「天津産」の「一人之下」 

 「一人之下」を製作した天津動漫堂芸術発展有限公司の李盈総経理は取材に対して、「『一人之下』のウェブ漫画版は2015年から連載が始まり、累計クリック回数は14億回を超えている。
 超人気作品で、真の大ヒット作となっている」と話した。

 同作品は7月9日に、TOKYO MXで放送が始まり、第1話が日本最大級のアニメ見放題サイト「dアニメストア」のデイリーランキングで6位に入った。
 そして、正規版は中国語と日本語しかないため、欧米のアニメファンは自分たちで字幕を付けて観賞するなど、海外で瞬く間に大ヒットとなった。
 日本でゴールデンタイムに放送されるようになったことについて、李総経理は、「『一人之下』をアニメ化した当時から、当社のチームには海外に進出するという構想があった。
 同作品には中国の伝統文化がたくさん盛り込まれている。
 海外では中国の要素は非常に人気がある。
 今後、漫画版も海外で発売する計画で、既に韓国や欧州の出版社と話し合いを始めている」と説明した。

■ストーリーは伝統文化に根ざすべき 

 どうしても避けられないのが、中国と日本のアニメの作風の比較だ。
 「一人之下」の原作者・高安さん(ペンネーム:米二)は取材に対して、
 「もちろん、日本のアニメの影響を受けている。
 でも、それは画風の面に関してだ。
 私に大きな影響を与えたのは、沙村広明、富樫義博、岸本斉史の3人。
 最終的に岸本斉史の作風を取り入れたのはシンプルで一番簡単に描けるから」
と語ったものの、
 「ストーリーの点では本当に何の影響も受けていない。
 日本の漫画は好きだが、その世界観、価値観、人生観は好きではなく、受け入れられない部分さえある」
とした。

 李総経理は、
 「アニメ産業が非常に発達している日本のアニメは、今ある全てのアニメの作風をカバーしていると言える。
 日本のアニメの画風の影響はとても大きく、どんなものを描いても日本のアニメにそれと似たものを見つけることができる。
 しかし、そのストーリーは自国の文化に根ざしていなければ、花を咲かせることはできない」
との見方を示す。

 「一人之下」の宣伝ポスターには、女優・徐静蕾(シュー・ジンレイ)の名前が「顧問」として書かれている。
 李総経理によると、
 「徐静蕾は単なる『顧問』ではなく、計画中の実写版映画のメガホンも握る予定」
としたほか、
 「初め徐静蕾と連絡を取ったのはビジネスの面で協力してもらうためだったが、『一人之下』の全てのストーリーを見た彼女は非常に気に入り、実写版映画を製作することを決めた」
と明かした。

■天津には優秀なアニメ人材が豊富

 多くの中国の80後(1980年代生まれ)や90後(1990年代生まれ)に、日本のアニメは大きな影響を与えている。
 今回、「一人之下」が日本でゴールデンタイムに放送され、他の国でも注目されるようになっているのは、多くのネットユーザーの目には、「中国アニメの華麗な逆襲」と映っているかもしれない。

 そのような見方に関して、李総経理は、
 「逆襲できたというにはまだ早いが、逆襲の第一歩を踏み出したということは言えると思う。
 もし、日本や欧米のアニメ産業を空高くそびえる木に例えるなら、中国のアニメ産業はまだ小さな木にすぎない」
と冷静に分析し、
 「だから、さらに多くの中国の傑作漫画やアニメを海外に進出させなければならない」
と語っている。

 実際には、天津のアニメ会社から大ヒットアニメが生まれたのは決して偶然ではない。
 李総経理は取材に対して、
 「天津にはアニメの良い土壌がある。
 現在、中国最大のアニメ拠点は、杭州と天津の2カ所。
 中国のアニメの発展環境は『最も良い時代』にあると言える。
 大きな資金がこの産業に常に流れ込み、コピー版撲滅などの政策サポートもあり、今の環境は特に良い」
との見方を示した。

 取材の最後に李総経理は、
 「『一人之下』の海外進出は、単なるアニメ作品の輸出ではなく、文化の輸出でもある。
 『一人之下』には多くの中国の伝統文化が盛り込まれているので、ある意味、同作品は中国伝統文化の宣伝になっている。
 そのため、このような中国文化が詰まったアニメ作品がさらに大きな舞台へと羽ばたいて行くことを願っている」
と語った。

(提供/人民網日本語版・編集KN)



サーチナニュース 2016-09-10 14:33
http://news.searchina.net/id/1618470?page=1

日本と中国とのアニメの差 
技術ではなく「遺伝子」の問題だった! =中国メディア

 中国の若者たちが日本のアニメ・マンガ文化に親しむようになって、すでに久しい。
  その影響もあって、中国のアニメ業界も日本市場への進出など、発展の様相を呈するようになった。
 一方、日本と中国のアニメ業界の間には、技術以外に大きな差が存在するという見方もあるようだ。

 中国メディア・今日頭条は7日、
 「中国と日本のアニメの差 そもそも『遺伝子』が違っていた」
とする文章を掲載した。
 文章は、両国のアニメ業界の差を語るうえでしばしば技術の差、国による重視ぶりの差といった点から分析されるとしたうえで、「今日は新しい見方を提起したい」と説明。
 それが「両国のアニメを形成する遺伝子が異なる」という根本的なものであるとした。

 そして、
★.日本のアニメ文化が持つ遺伝子として
 「日本文化自体が持っている、外からやって来たものを受け入れる包容力の高さ」
について言及。
 米国のヒロイズムやギリシャ神話など世界の優れた文化を題材として取り入れることで、世界各地の人にアイデンティティを持たせ、受け入れられやすいものになっていると解説した。

 また、
★.中国が全体主義や愛国主義的価値観一辺倒
であるのに対し、
★.日本は伝統文化の価値観を保つと同時に、
 様々な価値観を受け入れ、生んできたとし、バラエティ豊かな価値観が日本のアニメの中身を豊かにしている
とも論じた。

 さらに、「萌え」という日本独特の「遺伝子」も日本アニメに世界的な影響をもたらしめる結果につながっているとも分析。
 「われわれには、われわれならではの世界的な影響力を持つ遺伝子が不足しており、
 世界的な競争で不利となっている」
と論じている。

 アニメ産業のベースとなり得る、自国社会における「価値観の多様化」という点について言及した文章の指摘は説得力がある。
 それは、
 多様な価値観を提供するだけでなく、
 それぞれの価値観において自由に解釈をする
という受け手側の多様性の受容という点も大きいのではないだろうか。
 ある1つの価値観の押しつけというのは、今の時代にはそぐわない
のかもしれない。

2016年8月15日月曜日

奇跡の一瞬:トラックに巻き込まれたスクーター女性助かる

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アフロ 8月15日(月)11時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00010000-storyfulv-cn

【映像】スクーターに乗った女性、
トラックに巻き込まれるが奇跡的に助かる



  大型トラックに巻き込まれた女性が奇跡的に這い出す様子を監視カメラが捉えていた。
 この事故は中国河南省駐馬店市(かなんしょう・ちゅうばてんし)の交差点で6月15日に発生したもので、スクーターに乗った女性がゆっくりと右折する大型トラックに巻き込まれた。
 トラック後部から這い出した女性は、奇跡的に軽傷で済んだ。

(中国、河南省駐馬店市、撮影:6月15日 映像:Newsflare/アフロ)

2016年8月14日日曜日

「ロボコン」ならぬ「ヘボコン」が大盛況:日本人のロボット愛が突き抜けてる!

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サーチナニュース 2016-08-14 12:07
http://news.searchina.net/id/1616354?page=1

日本人のロボット愛が突き抜けてる! 
「ロボコン」ならぬ「ヘボコン」が大盛況=台湾メディア

 子どもたちの長い夏休みも、お盆休みを迎えるといよいよ後半戦に。
 そこで気になるのは夏休みの宿題の進み具合だ。
 中でも自由研究や自由工作は、テーマ探しから始めなければならない難関である。
 ロボットみたいなものでも作ろうか、という子もいるかも知れない。

 台湾メディア・聯合新聞網は10日、香港人がなんとなく作った「ロボットのようなもの」が、日本で開催された「ヘボいロボットコンテスト」において表彰されたとする記事を掲載した。
 記事は「香港人の創意がまた爆発した」として、日本で7日に行われた「ヘボコン」(ヘボいロボットコンテスト)世界大会において香港代表が制作したロボットが「アイデア大賞」と、相撲競技部門優勝の栄冠に輝いたと紹介している。

 「ヘボコン」は日本で生まれた「技術のない人のための、自作ロボット競技大会」だ。
 記事は専門知識のない素人が作ったロボットによって競われ、その外観や能力がしばしば人びとの笑いを誘うというエンターテインメント性を持っていると説明。
 その上で、香港代表のKitManさんが作った「おじさん型ロボット」が、デザインのヘボさと自らあっという間に場外に出て負ける性能のヘボさを遺憾なく発揮し、その萌えっぷりから「アイデア大賞」を獲得したと伝えた。

 また、同じく香港のRickyさんが手がけたロボットが競技において並み居る強豪を押しのけて優勝。
 記事は、このロボットが
 「リモコンに見えるほうが本体で、本体に見えるトラ型の機械が実はリモコン」
という奇妙な代物であること、別のロボットを作ろうとした所失敗し、急いであり合わせの材料でやっつけ的に作ったところ誕生したロボットであることを紹介している。

 記事は、「ヘボコン」のベースとなる理念として
 「失敗を楽しむこと」、
 「うまくいかない状況を楽しむこと」
があると説明。
 香港でも昨年大会が行われ、その際には
 「勝者に何の賞品も出ないにも関わらず、あっという間に申し込み枠がいっぱいになった」
とその人気ぶりを伝えた。

 見栄えの悪いもの、できないこと、うまくいかないことをみんなで楽しんでやろう、という実に前向きな精神に支えられた「ヘボコン」は、本家の「ロボコン」に負けないほど魅力的なイベントである。
 今回話題になったのは、香港の人たちの素晴らしき「創意」だったが、きっと中国の内地にもギャラリーを大いに楽しませてくれる逸材がゴロゴロしているはず。
 ぜひ見てみたい。



2014年 ヘボコン大会動画

●2014/09/04 に公開

2016年8月6日土曜日

超絶 凄ワザ!「ストロー状に穴を掘ったシャーペンの芯をご覧ください」

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超絶 凄ワザ!「ストロー状に穴を掘ったシャーペンの芯をご覧ください」
NHK
●2016/07/19 に公開
高い水準を誇る日本のものづくり。その技術力の極限はどこまで高めることができるのか?
ある道を極めた技術者や職人が、これまでにない超絶品質の「腕試し」の作品に挑戦、厳格な基準をクリアするまでをドキュメントする。難題を乗り越えようと繰り出される凄ワザの数々!そして互いのプライドを賭けて作品の完成度を競う。技術者が本気でぶつかり合う真剣勝負を通じて、日本のものづくりの底力・奥深さを伝える。
0.5mmのシャープペンシルの芯に穴をあけろ!目指すは6cm貫通だ。凄ワザ史上、最もミクロな戦いが幕を開ける。挑むのは、全国に名をはせる旋盤ドリル職人。己の手の感覚を頼りに、なんと手動で極小穴を掘る。挑戦の一部始終を見よ!
【放送情報】総合(土)夜 8:15~/[再放送](木)午後 4:20~


Record china配信日時:2016年8月6日(土) 7時50分
http://www.recordchina.co.jp/a146827.html

これが日本の匠の技!
シャープペンの芯にストロー状の穴を掘った職人
「日本人の匠の精神には敬服する」
「なんて恐ろしい民族」―中国ネット

 2016年8月3日、中国の掲示板サイトに、シャープペンの芯にストロー状の穴を掘る日本の職人について紹介するスレッドが立った。

 スレ主は、日本のテレビ番組で、長さ6センチ、太さ0.5ミリのシャープペンシルの芯に、ストロー状の穴を掘る職人技を見せた日本人について紹介。
 多くの企業がこのチャレンジを断念する中で、近藤精密会社の技術者である斉藤雅晴さんが、旋盤を使用して見事に成功させたと伝えた。

これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。

「日本人の匠の精神には敬服するよ」
「このような匠こそ大国としての風格を有している」

「これはすごい!
 人の技術と旋盤の精密度が極めて高い!」
「これには敬服する!
 だから日本車を買うことにする!」

「なんて恐ろしい民族だ。
 こういう人は何でも成し遂げるに違いない」
「これは単にシャープペンの芯に穴をあけたというだけの問題ではない。
 仕事に対する態度の問題だ」

「こういう試合は中国でも多く開催した方がいいな」
「中国にはこういう設備はないしこういう人もいない。
 一体どうしたらいいんだ」

中国では匠とはけなし卑しめる意味になる
「この種の匠の精神は、文化大革命前の中国には多く見られた。
 でも文化大革命が匠を滅ぼしてしまった」

「この種のどこまでも精進を続ける精神は、中国の職人が学ぶに値することだ。
 でも反日教育がそれを許さない」
「でも何の役にも立たないことだな」